左から2番目がセラピストのフィル、眼鏡ジェームス、長髪カーク、短髪ラーズ
写真クレジット:IFC Films

ロックバンドのドキュメンタリー映画を、映画館に行ってまで観る人は限られているだろう。しかも、それがヘヴィメタル・バンドのメタリカとなれば、ファンがほとんどに違いない。大体、メタリカを知っている人がどれ程いるか。ひょっとしたら、ヘヴィメタル、略してヘビメタって何?って言う人もいるかもしれない。私もその類いの一人なので、まさかお金を払ってこの映画を観に行くとは思ってもいなかった。ところが行ってしまったら、メチャメチャ面白い映画だったので、今回はその話をしたい。

タイトルは『真実の瞬間:メタリカ』、英語では"Metallica, Some Kind of Monster "で、「メタリカ、ある種モンスター」というような意味か。こっちの方がこの映画にはピッタリ来る。瀕死のモンスターのあがきと再生の苦しみを描きながら、人にとっての家族の意味について考えさせてくれる拾いもの映画だった。アメリカでは04年、日本では05年の夏に一般公開され、すでにDVDも出るようだ。

このドキュメンタリーは、巷に数多あるロックスターのド派手な暮らしぶりを見せるための宣伝映画ではない。ジェット機を乗り継ぐコンサートツアーや、賑やかなレコーディング風景など、ロックバンドを神のように崇めるファンの幻想に奉仕する映像は、一切出てこないのだ。監督たち(ジョー・バーリンジャー&ブルース・シノフスキー)は、長年沈黙を続けていた有名バンドが、最新アルバムを作る過程を撮る予定だったのだが、撮影を開始したとたん、レコーディングどころではないバンドの現状を知る。メタリカは、バンドとして死にかけていたのだ。

完全にあてが外れた監督たちは、それでもカメラを廻し続けた。死に際の醜い姿をさらしていたメタリカも、撮影続行を了解。おかげで自滅型が多いロックバンドの希有な再生物語が記録されることになる。瀕死状態にいても「隠すのは嫌だね。全部見せてやるよ」という態度が、このバンドの真骨頂だ。彼らは、驚く程バカ正直な男たちなのだ。


ヘビメタ更年期熱
メタリカはモンスターと呼ぶにふさわしい、ミュージック業界ではかなり老舗の大御所バンドらしい。
「1981年、米・西海岸で結成。世界中でアルバム・セールス9,000万枚以上、6度のグラミー賞受賞、過去10年間でビートルズやマドンナを凌ぐセールスを叩き出しているヘヴィメタル界の帝王である。」(映画紹介サイトから引用)。「帝王」とはスゴイ形容だが、正直なところ私はメタリカがどれ程「偉大」なバンドかはよく知らない。

かすかな記憶を辿って、彼らのデビュー当時のミュージックビデオで、レスラー体格の大男が長髪の頭を演奏中にグリグリ廻す感じが、歌舞伎の連獅子みたいだった、とボンヤリ思い出す程度。ただ、印象はくっきり明確だった。気合入りまくりの男臭いバンドで、当時人気を争っていたガン・アンド・ロージズの、女のファンを意識したヤワな不良っぽいポーズと対象的だった。

ヘヴィメタルというのが、どういう音楽なのかもよく解らない。ヘヴィメタルというからには重金属、つまり電気楽器の持っている金属的音質を極めた重いサウンドという感じか。ボーカルも歌うというより、叫ぶ吠える唸る絞り出すというスタイルなので、多くの人には騒音にしか聞こえないだろう。私もロックは大昔に良く聞いたが、恐ろしいことに40才を過ぎた頃から受け付けなくなった。つまり、うるさいと感じるようになった訳だが、これこそが老化の始まりだとがく然としたものだ。

だが、そんな私にヘビメタの火をつけたのが、99年の映画『マトリックス』だった。主人公ネオが、マトリックスの呪縛から完全に解放されたエンディングで、ビューンと空を飛ぶシーンに流れるレイジ・アゲンスト・マシーンの "Wake Up" の曲が、ひょいと身体に入ってしまったのだ。

あの頃は、重金属ロックの破壊的で騒然としたスピード感が、なぜか身体に合った。以来気が付くとヘビメタの曲に耳を傾けていた。かなり暴力的な歌詞が、まったく聞き取れなかったのが幸いしたかもしれない。しかし、なにせ更年期のオツムなので、どの曲がどのバンドなどという細かい判別もつかないまま、「あっ、これイイかも」と思うとそれがメタリカ、というような感じで、ファンと呼ぶにはあまり醒めていた。


断末魔に喘ぐモンスター
さて、前置きが長くなったが、いよいよ映画の話だ。まず登場人物を紹介しよう。バンドメンバーは3人。81年のバンド結成時からのメンバーである、ジェームス・へットフィールド(ボーカルとギター)、ラーズ・ウルリッヒ(ドラム)、そしてカーク・ハメット(ギター)。この映画を撮りはじめた当時の2001年は、86年から15年間ベーシストを務めたジェイソン・ニューステッドが辞めた直後だ。表向きには、彼の自己退社(?)という形になっている。

当時のメタリカは、96年以来5年以上もニューアルバムが全然出ていないという開店休業状態。アルバム・リリースへのプレッシャーは、マネージメントやレコード会社から重くのしかかっていた。事情は定かでないが、そんなバンドの状態に業を煮やしたジェイソンが、独自でアルバムを出し、それに激怒してジェームスがジェイソンを追い出した、というような経緯があったようだ。バンドは肝心のベーシストを失い、ニューアルバムを作るどころか、さらに窮地に追い込まれ、最悪の状態だった。これがこの映画のスタートだ。

ジェームスは先の連獅子の大男だが、ボーカルという自分の声、すなわち強大な発言力を持ったバンドのボスといった男だ。その彼に対等に向かっていけるのは、バンド創世時からの生き残り、ドラムスのラーズだ。彼は、小柄で理屈っぽい男で、ジェームスがかっとなってジェイソンをクビにしたことを納得していない風だ。レコーディングの最中も、1つの曲をめぐって何かと言うとジェームスに食ってかかり、2人は大声を張り上げ喧嘩をくり返す。ギタリストのカークは、痩せたもの静かな男で、大喧嘩をくり返す2人のなだめ役だ。彼がいなかったら、きっとこのバンドは大昔に解散していたに違いない、という3人だ。

カークは、あるテレビ番組で面白いことを言っていた。バンドの最盛期、ジェームスとラーズはいつも取っ組み合いの大喧嘩をくり返し、スタジオをメチャメチャにしていたが、喧嘩すればする程、よい曲が書けたというのだ。つまり、ジェームスとラーズの対立は、曲作りに不可欠なプロセス、弁証法だったという訳だ。

女と男は性行為を通じて生物的創造をするが、男ロッカーたちは互いの肉体を激しくぶつけ合うことで曲作りをする。そう言えば、西部劇映画で、男達が酒場で大乱闘をした後、仲良くなるという場面がたくさんあった。喧嘩は男同士が親しくなるための交流手段、性行為のようなものなのだろう。男達の創造へのメカニズムを証す、面白い裏話だ。


ロックバンドがグループセラピー?!
しかしこの当時、そんな創造に向けた明るい喧嘩が出来た時代は終わっていた。2人の男たちの争いは、不信と憎しみの毒を漂わせ、離婚寸前の夫婦みたいな感じだ。そんな膠着状態を解決しようと、新たな人物が現れ、この映画は予想外の展開をしていく。

マネジメント会社Qプライムが、セラピストのフィル・トウルを雇い入れる。正式には、パフォーマンス・エンハンサー(高める人の意味)という奇妙な肩書だ。どうやらニッチもサッチもいかないロックバンドは他にもあって、フィルはそうしたバンドの人間関係改善に実績のあるセラピストらしい。

バンドの危機にセラピストを頼むというのが、いかにもアメリカのビジネスという対応だ。しかし「殺せ殺せ、奴らを殺せ!」と絶叫して世界のトップに躍り出たヘビメタバンドがグループセラピーというのは、いかがなものか? 怒りや憤まんを生に吐き出すことが命のロックと、怒りや憤まんから人を解放するために心を探るセラピーでは、まったく正反対。怒りを解決してもロッカーでいられるのか。この問いはこの映画にサスペンスを与えた。しかも、その過程を包み隠さず記録させたあたりが、男が惚れるメタリカの心意気なのだろう。

フィルは頭頂部が薄くなった初老のインテリで、メタリカの連中とは似ても似つかない。さっそくジェームスたちを集めて、スタジオでグループセラピーが始まる。フィルはまず、男達に普通の言葉で、率直に自分を表現することを教える。アルコホリカとも呼ばれていたメタリカは、20年になるバンド生活のほとんどがアル中状態だったという。

そんなバンド暮しのツケが回って、顔を会わせれば小競り合いをくり返すジェームスとラーズたちにとって、喧嘩以外の伝達の方法を学ぶのは、重要な第一歩。北京原人ネアンデルタール人になるような進化の過程である。それはどこか、三重苦のヘレン・ケラーにサリバン女史が、物事と言葉の関係を教える鍵となる「水」の一言を教えるみたいな感じで感動的ですらある。

ジェームスはラーズに向かって「あなたといるといつも否定されるので、一緒にいたくない」と率直に語る。意外にも素直なメンバーたちは、フィルの指導に従って、少しづつ内面に抱えていた不満を語り始める。フィルから、見たくもない自分の心の深部を見つめるよう言われ、ある時は皆の前で対決を強いられ、家族や元バンドメンバーなども合流して、重苦しいグループセラピーの日々が続く。この辺の映像は個々人の肉声が生々しく、この映画の中でも一番面白い部分だ。


セラピーは自分の部屋の大掃除
私もこちらの生活が長いので、セラピーに行ったことが何度かある。行くからには人には言えない事があったからだと思われるが、人には言えないからというより、人に聞いてもらえないから行ったという感じだった。セラピーに行っていると日本の友人に言うと「どうして友だちに相談しないの?」という返事が必ず返ってくる。確かに、言葉がずっと不自由だったし、自分の胸襟を開ける友だちがいなかったというのもあるが、アメリカ人の友人たちは、相手が恋人でもなければ、人のこんがらがった心の状態について忍耐強く聞く習慣がないような気がした。人に関心がないというか、薄いというか。

個人と個人の境界がはっきりしているので、境界を越えて自分の内面を語っていくとブザーが鳴るように「専門家(この場合はセラピストを指す)に相談したら?」と自分の世界に押し返されるのだ。例えば、自己イメージをモロに傷つけられる失恋をしてグチャグチャしていると、絶対セラピーを薦められる。仕事をクビになったり、近親者が亡くなったり、交通事故を目撃してもセラピーだ。何かあると友達の話をよく聞いてくれる親切な人が多い日本にいると、この感じが分かりにくいみたいだ。個人の境界が滲んだ日本の人間関係と、何か根本的に違うのだ。

私にとってのセラピー体験は悪いものではなかった。おかしな表現だが、台風が来てトッ散らかってしまった自分の部屋(つまり自分の内面世界)を、内装の専門家(セラピスト)と一緒に整理する感じだった。ひっくり返った椅子や机(価値観)を元に戻し、窓の暗いカーテン(不信や怖れ)が明かりを遮っていたのではないかと聞いてみたり、なぜこの食卓(生活信条)が部屋の真ん中にドンと置いてあるのか、どこから(個人史)持ってきたか、基本的には自分の部屋にあるものを一つずつ点検して、部屋を整理していく。タンスの裏に隠れていた古い写真(過去)をじっと見たり、古くて使わない家具(思い込み)のリストアップをしたりする。

これは友達とはできないな、と思った。専門家は私のことを全く知らない。だから、私への先入観なしに、部屋の整理に助言をしてくれる。無理強いや期待願望を一切しないので、自分が本当はどんな部屋にしたかったのか、少しずつ分かってくる。反面、友達には友達の私への期待やイメージがあるので、助言をもらってもまた同じような部屋に戻ってしまう可能性が高いような気がするのだ。

もちろん、セラピーは万能ではない。役に立たない大きな机が部屋を占領し、身動きができない状態を指摘して、その机を捨てる必要を示唆してくれるが、捨ててはくれない。その机を捨てるのは自分だ。専門的な現状分析と認識は行動の第一歩だが、行動に転じるには、勇気=ハラの力がいる。部屋の整理は出来ても、古い家具を捨てるのは難しく、それはセラピーとはまた別の課題だ、と感じたものだった。

私の場合、ある程度かたづけが済んだと思えた段階で辞めたが、人によっては同じセラピストと何年、いや十何年も続ける人もいるらしい。ある知人は、そういう自分の状態をセラピスト・ジャンキー(中毒患者)だと言って、自嘲していた。人に自分の話をちゃんと聞いてもらうというのはなかなか難しいことで、それが上手くない人にとって麻薬的な面があるかもしれない。セラピストとの依存的な関係を持つ人は多いようで、ジェームスもまさにフィルに寄りかかっていくが、それは別の機会に話そう。