"Bobby"


マーチン・シーン、リンジー・ローハンヘレン・ハントイライジャ・ウッドシャロン・ストーンなど、見つけてください。
写真クレジット:MGM Distribution Company, The Weinstein Company


1968年という年は、アメリカの近代史の中でもっとも暗い年だった。4月4日に公民権運動の指導的存在だったマーティン・ルーサー・キングJr.牧師が暗殺され、その2ヶ月後に大統領候補のロバート・ケネディが暗殺されている。ロバートは、兄ジョンの政権時代に司法長官として積極的に人種問題に取り組み、貧困層やアフリカ系の人々からの支持を得て、ボビーという愛称で親しまれた。6月5日、大統領選に向けカリフォルニア州予備選挙で圧勝し、ホテルで勝利演説をした直後、銃弾に倒れた。

しかし、この映画の主人公はボビーではない。登場するのは、彼が暗殺されたその日、そのホテルにいた人種も生活背景もまったく違う22人の人々。選挙運動員からホテルの従業員、美容師、アル中の歌手、若いカップルなど。彼らの人生のドラマが点描され、祝賀会で一つになる。喜びと期待で笑みを浮かべる人々。が、それもつかの間、衝撃の銃弾が希望の時を引き裂いた…。

ひねった設定の物語だが、個別のドラマが散漫で感傷的なのが気になった。ファッション以外に共通した時代性が描ききれていないのだ。ところが、エンディングで流れたボビーの声で語られる演説を聞きながら、思わず涙が出てしまった。

「暴力がかつてよい結果をもたらしたことがあったか? 何かを生み出したか? 高い志を持った者の理想を銃弾で変えることはできない…」

暴力の無意味を説きながら、その暴力によって殺された彼の静かな声が、騒然とした暗殺の現場に流れる。何分間か流れたその録音は、キング牧師暗殺翌日の演説 "On the Mindless Menace of Violence"(暴力の愚かしい脅威)からのものだった。それを聞きながら、アメリカを被っていた光のようなものが、あの日にフッとかき消された感覚があり、それを伝えるために作られた映画なのだと合点がいった。それにしても、 何かもどかしい。

そんな感想をアメリカ人の友達にした。彼女は当時、公民権ベトナム反戦運動に関わった人で、この映画への感慨は深かった。
「あの時まで、私たちが力を合わせれば社会は変わると思えたの。でもあの事件以来、正々堂々と正しいことを言う人は殺される、という恐怖をみんなが持つようになってしまったのよ」という。それを聞きながら、私の感じたもどかしさは、その恐怖と無関係ではないように思えた。

この映画は、ベトナム戦争終結を公約した政治家の暗殺を描くことで、現在も続くイラク戦争への反対の意思を表していると思う。その精一杯の誠意は伝わるのだが、どこか周りくどく、腰が引けている。なぜ、ボビーを正面から描かなかったのか? 

当地ではオールスター・キャストで注目を集めているが、彼らが暗殺現場にいたという受け身の立場にいるために、暴力の脅威ばかりが印象に残る。これは致命的な問題で、豪華キャストをそろえたことで集合的な無力感もさらに強調された。結果として、正々堂々とものが言えないハリウッド映画人の怯えが伝わる奇妙な映画になってしまった。

ちなみに、ロバート・ケネディの暗殺後、民主党は混乱し、大統領選では共和党ニクソンが当選。ベトナム戦争はどろ沼状態で75年まで続いていく。4年近く続くイラク戦争も同じ道をたどっている。
監督とオリジナル脚本は俳優のエミリオ・エステヴェス。出演はアンソニー・ホプキンスデミ・ムーアなど。上映時間:1時間51分。日本では2007年春に劇場公開予定。