"Fish Tank"(原題『フィッシュ・タンク』)


『フィッシュ・タンク』写真クレジット:IFC Films
この映画を観ていて、津島佑子の『山を走る女』を思い出した。この小説は、親の反対を押し切って子を生んだ若い女の荒れ狂う内面を、生き生きとした筆致で書き切ったもので、津島作品の中でも好きなものの一つだ。
本作の主人公と小説の主人公に共通項はないのだが気性の激しさが良く似ており、記憶の奥に残る野性的な若い女と再会した懐かしい驚きがあった。

去年のカンヌ映画祭で審査員賞を受賞したイギリスのアンドレア・アーノルドの脚本/監督作品で、波打つような少女の鼓動が伝わるドキュメンタリー・タッチの映画だ。

映画の舞台は現代のロンドン東部アセックス。古びた公営団地で母と妹と3人暮らしの15才の少女ミア(ケイティ・ジャーヴィス)が主人公だ。母(カーストン・ウェアリング)は無職で母親らしいことは何もしない。ミアが家に帰ると、昼から酒を飲んでいるのか、下着姿でタラタラ踊っている。彼女を避けるように二階へ駆け上がるミアに、母は「どこ行ってたんだよ!」と罵声を浴びせるありさまだ。

ミアは強面で喧嘩っ早く、学校を退学して友達が一人もいない。彼女が生返るのは、団地の空き部屋で一人でヒップホップに合わせて踊る時だけなのだ。

そんなミアの暮らしに変化が起きる。母のボーイフレンド、コナー(マイケル・ファスベンダー)が家に泊まるようになった。コナーに対して犬のように警戒するミアだが、彼は意外にも気さくな男で一家をドライブに誘ってくれる。初めて体験する家庭的な時間に戸惑いつつも、カラカラに乾き切ったミアの心にコナーの優しさが染みていく。

ここから先のミアの混乱が痛ましい。父親を知らない彼女はコナーを父として慕っているのか、男として惹かれているのか、分からない。だが、コナーにとってミアは同じ屋根の下にいる魅力的な若い女でしかない。この先は言わずもがなの展開である。

本作の面白さは、二人の関係を加害者/被害者という単純な図式として描いていないことだ。コナーは未熟な15才の感情を利用した汚さがある。だが「据え膳食わねば」の厚顔もなく、慌てて逃げ出す呵責もあった。この男の弱さと破綻が読み取れる演出だ。

一方、ミアはコナーの秘密に行き当たる。彼は郊外の快適な家に住み、妻と幼い娘がいたのだ。それはミアが渇望した小市民的な父親の姿だった。コナーの裏切りにミアの怒りが燃え広がる。

『プレシャス』を観た時も思ったことだが、思春期の少女にとって無関心と虐待、裏切りを生き抜くのは戦場を行くのに等しいのではないだろうか。家庭は戦場、満身創痍となって戦場を駈ける少女が荒ぶるのは当然のことだ。

主演のジャーヴィスが素晴らしい。本作の舞台となる団地近くの駅でボーイフレンドと大喧嘩しているところをスカウトされたという。演技経験の無いジャーヴィスに脚本を撮影寸前に渡すという独特な演出が功を奏して、こういう子は絶対居るな、と思わせるアーノルド監督の演出力に感服した。

彼女の長編一作目に当たる前作『Red Road』(日本未公開)も、貧しい公営団地を背景した女の復讐劇で、良く出来た作品だった。女優、ダンサーを経て監督になった彼女は、今後のイギリス映画を担う映画監督となっていくに違いない。

最後に本作の中で初めてこの一家が一つになる場面がある。ミアが母と妹と踊るシーンだ。レゲエが好きな母が「これもいいじゃない」と言ってミアの大好きなヒップホップのリズムに身体をゆだねる。踊りで繋がる母子のゆったりした瞬間を捉えた秀逸なエンディング。ミアは戦場を生き延びたのだ。

上映時間:2時間2分。

『フィッシュ・タンク』英語公式サイト:http://www.fishtankmovie.com/