"VINCERE"(原題『勝利を』)

『勝利を』写真クレジット: IFC Film
ヒットラーが出る映画は多く作られているが、ムッソリーニが出る映画はそれほど多くない。本作では彼のニュース映像が多く挿入されて興味深い。猪首でゴツゴツとした大きな顔、派手に身体を動かしながら演説する姿が何度も出てくる。
演説の名手で聴衆を酔わせたというベニート・ムッソリーニファシズム創始者、1922年から20年以上「ローマ帝国の復活」を旗印にイタリアを独裁支配。第二次世界大戦末期にレジスタンスによって銃殺され、遺体は愛人と共に逆さ吊りにされたという。

この男を愛し、身も心も全財産も捧げ、彼の息子を生んでいた女性がいた。本作はその秘密の妻アイーダ(ジョヴァンナ・メッツォジョルノ)が、ムッソリーニ(フィリッポ・ティミ、悪魔的怪演)に互いの結婚を認め、第一子である息子を法的に承認せよと迫った生涯にわたる孤独な闘いを追っていく。が、永遠の愛を謳い上げる作品でもなく、日陰の身の上にありがちな哀感を誘う作品でもない。

アイーダは、若きマルクス主義者(!)ムッソリーニと関係を結んだ頃、燃え立つ情熱を持つ官能的で自立した女だった。ところが、彼が別の女と結婚し娘までいたことを知り、自分との結婚の正当性を主張する信念の女へと変化していく。

ムッソリーニバチカンと和解した手前、スキャンダルを怖れてアイーダを黙殺。彼女の怒りはさらに燃え広がり、ついに精神病院に送られる。院内で彼女を監視したのは尼僧たちで、「あなたは神の子を産んだ幸せな女」と説得する。人を神とすり替えるファシズムの詭弁が恐ろしい。

アイーダが自由を奪われた後半から、彼女の妥協を拒む姿勢が頑迷さに見える演出に転じていく。院内の映画会で、かつて精悍だった男とは似ても似つかぬ禿げた総統の映像を見入るアイーダの空ろな瞳。画面にはファシズムが台頭しイタリアを席巻していく熱気と狂気が、未来派プロパガンダ映像を通して溢れ始める。

その圧倒的な映像の嵐が、返事の来ない手紙を書き続ける彼女の激情的偏執と拮抗していく。現実を受け入れ息子と共に生きる道もあったはずだが、それを断固拒否した彼女の不可解さには、マンガ的風貌のムッソリーニが神にまで登りつめた不可解さと同質なものを感じる。題名の意「勝利」に眩惑された熱狂の時代ということなのだろう。

オペラのアリアを多用し、象徴的な出来事をドラマチックに見せる作品なので、マルクス主義者だったムッソリーニがどのようにファシストに転身したのか、などということは一切描かれない。が、イタリア的激情の濃さと異様な時代の空気は充分に伝わってきた。監督はイタリアのベテラン、マルコ・ベロッキオ
上映時間:2時間2分。サンフラシスコはクレイ・シアターで上映中。
『勝利を』英語公式サイト:http://www.ifcfilms.com/films/vincere