『Pariah』


『Pariah』写真クレジット:Focus Features
瑞々しくて清々しい、そんな言葉がピッタリくる映画を紹介しよう。米国の若い女性監督が初めて撮った長編映画で、17歳のレスビアンが主人公だ。
題名の"Pariah"には、社会の外れ者の意味があるが、訳語の持つややネガティブな意味合いよりも、社会から外れているからこそ無限の可能性を秘めている、という解釈の方がこの映画には相応しい気がする。

2011年のサンダンス映画祭撮影賞、ブラック映画批評家協会賞監督賞などを受賞している。

ブルックリンで高校に通うアリケ(アデペアオ・オデュイェ)は、成績優秀な生徒で詩を書くのが大好き。明るく溌剌とした少女だがある悩みを抱えていた。

レスビアンであることはしっかり受け入れているものの、親友のローラ(パーネル・ウォーカー)とレスビアン・バーに行っても居心地が悪いのだ。男っぽく振る舞うブッチと綺麗に化粧した女っぽいフェムたちの間で、どちらでもない自分がいる。自分は何者?という疑問が若いアリケの心と身体を煩わせていた。その上、母親(キム・ウェイアンズ)は敬虔なクリスチャン。一見仲の良い家族の中でカムアウトは絶望的だ。

一方、母親もアリケの行動に不審を持っており、心配を父親(チャールズ・パーネル)に伝えるが、彼はアリケを息子のように可愛がっており、ちょっとボーイッシュなだけだと取り合わない。

彼女のことになると二人の対立は激しくなり、アリケはさらに辛い思いをするのだが、もとより両親の関係は良くなかったのだ。

そんな頃、母親の紹介で同い年のビナ(アーシャ・デービス)と知り合い、嫌々ながら友達つき合いをしているうちに、彼女に惹かれ始めていく。ブッチでもフェムでもない自分をそのまま受け入れてくれたビナ。アリケはこの恋を通して自分を見つけていくのだが…

本作をカミングアウトものという枠に入れてしまうとつまらない気がする。確かに主人公はカミングアウトをしていくのだが、主眼はそのプロセスで彼女がどのような感情的体験をしたのか、にある。瑞々しいと書いたのはその体験の描かれ方で、アリケはティーンらしい迷いや踏み外しをしながら最後まで自分への信頼と愛を見失うことがない。

カムアウトをして一騒動となり家出をするアリケだが、母親への怒りや父親への失望から自暴自棄になることはなく、彼女を受け入れることが出来なかった両親を静かに受け入れて、独り立ちする勇気を得る。

彼女は家族の中にも、レスビアン・コミュニティの中にさえも自分の居場所を見つけることが出来なかった"Pariah"だったかもしれないが、自分らしさを表現していく独自の道を掴んで行くのだ。「自分は逃げたのではない、選んだのだ」とキッパリ言い切るエンディングは、アリケの真っすぐな心のあり方を伝えて清々しい。

『Pariah』写真クレジット:Focus Features
脚本を書いたのは監督のディー・リース(写真上)で、彼女の自伝的な体験が下地になっているという。07年に作った短編を長編として作り直したのが本作で、05年の書き始めから数えると6年の歳月を経ている。

スパイク・リーが製作に協力しているが資金集めは完全な独立系。リース監督が歯磨きのコルゲート社で働いていた時の同僚ネキサ・クーパーが製作を引き受け、仕事を辞め、家も売って製作に奔走、という感動的な舞台裏があったようだ。音楽もパンクやラップ、バラードなど若い女性ミュージシャンたちの楽曲を使って、ブルックリンで生きるアリケの生活感を彩っている。

若い女性たちが何年もかけて作り上げた映画には、ハリウッド的商業映画のゴテゴテとした粉飾や嘘臭さがなく、スッキリとしている。言いたいことが明確にあり、本物の手応えがあって、正直なのだ。そんな映画を観ていると、知らずと勇気が湧く、本作はそんな珍しく素敵な映画だった。

上映時間:1時間26分。サンフランシスコはセンチュリー・サンフランシスコセンター9 とブリッジ・シアターで上映中。
『Pariah』英語公式サイト:http://focusfeatures.com/pariah