サンフランシスコに初めて来た友達は、必ず空の青さに感激する。すると私も改めてその青さが目に染みる。普段見慣れた空なのに、まるで初めて見た時のように。そういう時、私の目は空を見て感動する友人の目になっているような気がする。これはなかなか素敵な体験だ。
先日、『Pina, 3D』というダンス映画を観ていて、感じたことも同じだった。監督は『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のヴィム・ヴェンダース監督で、天才的舞踏家と呼ばれたピナ・バウシュが率いたドイツのヴッパタール舞踊団のパフォーマンスを記録したドキュメタリー映画だ。難解でハイブローな舞踏形式で、ハイアートが苦手な私としてはヴェンダース監督作品でなければきっと敬遠したと思う。

ヴェンダース監督への好感だけで劇場に足を運んで、実に面白く映画を楽しんだ。抽象性の高いアート形式にはたいがいクソ難しい解説が付きもので、知的な言葉の洪水に面食らってなかなか楽しむことが出来ない時が多い。だが、本作ではそのハイアートの高い壁がストンと落ちて、奇妙な動きをするダンサーたちを子供がクスクス笑いながら見ているような感覚で見ることが出来た。そして、ふとこの感覚はヴェンダース監督が見た時の感覚ではないかと思った。

彼はピナの踊りに触れて、ワクワクする子供のような気分でダンサーたちの踊りを見つめていたのではないだろうか。ひょっとするとピナという人はかなりユーモアのある人で、彼は彼女の資質を丸ごとスッと受け取った、その感覚がそのまま映像を通して伝わってくる。YouTubeなどにもたくさんピナの踊りがアップされているが、ハイアートの壁は結構高く、ヴェンダースの撮った映画でピナの踊りに出会えたのは本当に幸運だったと思う。

ピナの踊りを実際に舞台で見たらどう感じるだろう。きっと、この映画を見た時とはまた違った印象を持つような気がする。それなら、ヴェンダースはピナの真実を伝えていない、ということになるのか。そうではないだろう。私がこの舞踏団を実際に見た時の体験と、ヴェンダースの目を通して見た時の体験が違って当然だし、どちらも正解、どちらも真実なのだと思う。ただ、私はヴェンダースという人とピナを一緒に見たかったのだ。彼と一緒に「青い空」を見たかったのだ、と思う。

映画を一人で見るのは孤独な行為だと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。映画が好きで、一人で映画館に通うという行動を始終している私だが、その根にあるのはたぶん誰かの見た青い空を私も見たいという欲求、誰かと同じ空を見て一つになる感覚を持ちたい欲求という気がする。

ある情景や人々の美しさを他者の目を通して見たい、というちょっと回りくどい欲求でもあるのだが、それは私たちが別々の肉体を持って、個別な生を生きているからこそ、どうしても欲しいと願わざるを得ない欲求ではないだろうか。なぜなら、私たちは根の部分で皆繋がっていて、いつもそこへ戻りたいと願っているから、と思うのだ。

子供向けの映画を見るなら、週末の朝、子供たちがたくさん集まっている上映に行くのがベスト、というのも同じ理由だ。映画を見ながら声を上げて笑ったり、びっくりしたりする子供たちと一緒に見ると映画の面白さが増えていく。子供たちは、圧倒的な熱さと無邪気さで、それぞれの根を大きく広げながら私の根に近づき、あっと言う間に私たちは一つになるのだ。

個であって全体である自分を確認するのはこういう時だ。私はそういう時の自分が一番好きだ。