"Anita"


"Anita" 写真クレジット:Samuel Goldwyn Films
アニタヒル(敬称略)を覚えているだろうか。セクシュアル・ハラスメント(以下SH)という言葉の意味を初めて私に理解させてくれた米国女性だ。30代プラスの方なら、彼女がかつての上司であり最高裁判所判事候補者だったクラレンス・トーマスの発言と行動について、米国上院の公聴会で証言した時のことを覚えているだろう。
彼女が毅然と冷静に証言した時の姿が今でも目に焼き付いて離れない。同時にマスコミの騒ぎ方も尋常では無かったことも忘れられない。

SHを米国議会の公聴会で扱ったのことのない上院議員たちは、不躾にも彼女の証言動機を疑い、SHのグロテスクな詳細を彼女に言わせ、あたかも彼女が裁かれる側であるかのような扱いをした。マスコミは尻馬に乗って、彼女の経歴や私生活をクローズアップ。あの騒ぎ方は現代の魔女狩りと言っても過言ではない。あれからもう23年も経った。

本作はその公聴会での質疑応答の様子とその後ヒルの体験、現在の意見と活動を追ったドキュメンタリー映画だ。監督はフリーダ・リー・モック。贔屓にしている中国系米国人アーティスト、マヤ・リンを撮った『Maya Lin: A Strong Clear Vision』でアカデミー賞の長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した人だ。

本作ではさまざまなことが明確になった。公聴会で、当時35歳の黒人女性ヒルがたった一人で立ち向かった相手は、米上院議員16名の白人男性だったこと。この映像を観るだけで、彼女が何に立ち向かったのかが一目瞭然。彼女は、白人優位の父権制と期せずして対峙することとなったのである。

民主党は、共和党の大統領父ブッシュがノミネートしたトーマス判事を候補者から引き摺り下ろすために、彼の人格的問題をヒル公聴会で証言するよう召喚した。彼女は召喚を受け、一市民としての義務を果たそうと証言をしたに過ぎない。だが公聴会に行ってみると、売名や恨みで証言をしたかのような問いかけを受け、彼女を召喚した民主党議員ですら彼女に助け船を出す者はほとんどいなかった。ちなみに議長は現副大統領バイデンだ。

彼女は黒人男性弁護士と母を始めとする家族を支えに、一人で悪意に満ちた「公聴会」を乗り切った。泣くことも声をつまらせることも無かった彼女の姿に、私は感動した。しかし、だからこそ彼女に反感を持った人も多かった。当時の世論調査ではなんと7割の人たちが彼女の証言は噓だと感じていた、という。この国では「判官びいき」はないようだ。

ヒルはこの証言の中でSHをはっきりと定義している。SHは性的な問題ではなく、管理と権力の悪乱用である。なぜトーマスはヒルの前で彼女が不快になる性的な話を何度もしたのか? 理由は、部下である彼女に性的な話を聞かせることで精神的に弱い状態に置き、その状態を利用して彼女から何かを引き出し、支配コントロールしようとしたからだと言っている。実に的確だ。

証言当時、弁護士で大学教授だったヒルだが、トーマスが最高裁判事に任命されると、さらに風当たりが強くなり、彼女のクビに抵抗した大学の上司がクビになったり、爆破予告や死の脅迫が続いたという。現在の彼女は、SHについての授業や講演で忙しく各地を飛び回っており、こんなハッピーエンドなら大歓迎だ。

ヒルを助けた男性弁護士が、なぜ彼女を助けたのかと聞かれて、「こんな酷いことは自分の母や姉妹や娘に絶対起きて欲しくない、と思ったからだ」と言っていた。理屈ではない家族への愛情からSHに立ち向かっていく男性が増えていけば、勇気凛々ではないだろうか。

上映時間:1時間17分。米国ではiTune Movie などで視聴可能。日本での上映未定。
英語公式サイト:http://anitahill-film.com/