この間、笙野頼子の本を読んでいたら、「図書館作家」という言葉が出て来た。図書館について書く作家ではなく、図書館で仕事をしている作家のことだと思う。私のことだ。作家を自称するつもりはないので、図書館ライターというところか。

5月頃から毎朝、図書館に「出勤」している。家で仕事が出来ると良いのだが、私のような小人が家にいると不善ばかり。どこかに「出勤」する必要があった。今年一年は映画紹介を毎週一回書く、ということを自分に課して、毎日図書館で書く努力を続けている。「書いている」と言えないところが、辛い。それでも、旅行中を除いては、今のところ毎週一回を保守。原稿の善し悪しは不問。最善は尽くすが、レースを投げないでゴールすることが目的だ。

「出勤先」は家から一番近い、サンフランシスコ市庁舎前にあるメイン・ライブラリー。89年の大地震で壊れ、96年に再建された比較的新しい図書館だ。六階建ての中央が吹き抜け、天上部が天窓になっているモダンな施設だ。

コンピューターも多く設置され、ネットへのアクセスはもちろん無料。机や椅子も大きくて使いやすく、8人掛けの長机スタイルや、窓際にずらりと並ぶ勉強机風に向き合った二人用のデスク、ガラスで仕切られた予約制の小さなグループルームや、各階ごとにあるアフリカ系などのマイノリティの本を集めた個別学習ルームから、希少本を集めた小図書室まで、広い空間にゆったりとしたフロアプランが広がり…と説明が長くなったが、それには訳がある。

私は過去2ヶ月以上、これらほとんどの部屋と机を使ってみたのだが、いまだに自分の場所を見つけられず、毎日静かなスポットを探してジプシーを続けている。「図書館では静粛に」という決まりが、ここにはまったく通用しない。声を低めて話す人は誰もいないし、図書館員ですら話す時は、普通の地声だ。

うるさいという以外に、この図書館には大きな問題がある。

空調がきき過ぎて寒い。初めて行った頃は、静かなところよりも、暖かいスポットを探すのに苦労した。ようやく天窓に近い5階の雑誌コーナーが一番暖かいことを発見。昼頃ともなると陽が燦々と射し込んで、いい感じなのだ。ヤッリー、ここで決まりだ!とばかりにラップトップをセットして、仕事を始めた。

が、しばらくすると、プーンと漂う異臭が鼻をつく。フト見回すと、なななんと、私の回りにはホームレスとおぼしき人々が…。テーブルにうっぷしてスヤスヤ、もしくは大きなポリ袋の中身とガサゴソ格闘中。それも一人や二人ではない。暖かいスポットが好きなのは、私だけでは無かった訳だ。しかし、陽射しで暖まったコーナーを濃厚に包む異臭は堪え難く、私は泣く泣くその場を後にした。館内ジプシーの始りだ。

暖かくて臭くない(静かは諦めた)自分のスポット探しを始めて、気が付いた。大げさではなく、この図書館に来ている人の何割かは、ホームレスか、もしくはボーダーラインの暮らしをしている人たちなのである。

この図書館のあるシビックセンター地区は、市内で一番のホームレスのたまり場。夜を外で過ごした人たちが、昼間に室内で暖をとり(サンフランシスコは基本的に昼でも涼しい街)、トイレを使用するために、図書館に集まってきている状況なのだと思う。トイレの手洗いでシャンプーをした女性が、ハンドドライヤーで髪を乾かしていたり、着替えをしていたり。図書館というより、ホームレスの避難場所としても機能している感じだ。

そのためなのか、図書館の警備は物々しい。入り口に銃を持った警官が二人も立ち、館内でも警邏しているのが、ちょっと大げさな気がしたものだ。ホームレスの人たちが危険だと断じるのは偏見だと思うが、何度か目撃した小さなケンカや小競り合いを体験すると、警察の存在も致し方なしと思わされる。

静かなアフリカ系の勉強ルームをしばらく使っていたが、ここでも小事件が。
ある日、後ろから突然「ここで、モノを食うんじゃねーよ!」という女の大きな怒声が響き渡ったのだ。「またか」と私は知らぬフリをしていたが、どなられた男が大声で「ウルセェー、このビッチ」で始まる卑猥な罵詈雑言で反撃開始。すると私の横にいて、過去3日間ほどコーランを読んでいた男性が立ち上がって、「静かにしろ!」と二人を一喝。一瞬の静寂があったが、結果は火に油。くだんの男は、待ってましたとばかりに、さらに罵詈雑言で応戦。口からは食い物が飛び散り、私のラップトップにも飛んできそうな勢いだ。慌てて荷物をまとめて、その場を立ち去る。なんで、こんなに醜い争いになるのか、信じられない。

次に行ったのが、ゲイ/レスビアンの勉強ルーム。ここはフロアの一番奥にあり、特に寒い部屋なので避けていたのだが、その日は誰もいなくて静か。「シメ子のウサギ!」と仕事の続きに取りかかる。が、しばらくしてスクリーンから目を上げると、まん前に座って雑誌を繰っている中年の男性が、面妖なるムード。

この部屋にはセクシュアル・マイノリティの雑誌が揃っているのだが、ゲイ向けの雑誌の中にはポルノ雑誌かと見まがうヌード満載のもあって、目の前にいる男が見ているのもソレ。グラビアに向ける視線にだだならぬものがあり、片手だけで雑誌をめくる、もう片方の手の行方が気に掛かる。小さな部屋に彼と私の二人。しかも椅子は他にもあるのに、なぜか彼は私の目の前で座っている。退散。

次に、窓際の壁に面した小さなデスクを見つけたので、そこに陣取ると、後ろにいるクマさんのような大男がケータイで話を始める。声もデカく、話ぶりは "yoo yoo, yoo" とギャング・ラッパー風。苦情を言う蛮勇はないので、ここも退散。フロア中央にある8人掛け机がたくさん並ぶエリアに移った。

このエリアは、館内で一番うるさい。避けていたのだが、今やどこも同じだ。子供の鳴き声、クシャミ、あくび、大きな独り言、怒声、中国語、スペイン語、知らない外国の言葉が錯綜する、駅前広場のような空間だ。

こういう場所は、書くよりも調べものに向いているので、しばしネットサーフ。すると、どこからともなくロックバンド、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」のメロディーが…。音源は、斜め向かいにいるおじさんのつけているヘッドフォン。ニヤニヤしながら、ラップトップの画面を見つめている。かなり高い音量で聞いているのだろう、フレディが出だし歌うソロ部分が、筒抜けだ。しかも、彼はスクリーンを見ながら、笑い出した。クスクスではない。ハハハの大笑い。周囲への配慮は一切なく、ハハハのハは続く。
こんなことアリか? ここは図書館だぞ! 「おじさん!」と声をかけても聞こえまい。何しろあの音量だ。周りを見回しても誰も気にする様子もない。どうなっているんだ?

帰宅を決める。

図書館から家まで、坂を登って20分。ホームレスの人たちがたむろするシビックセンター地区を抜け、路上で盗品売買をしている物騒な地区テンダーロインを通り越しての帰還だ。

テクテク歩いていると、向かいの通りにコンクリ製のゴミ箱を削っている男がいる。何のためかは分からない。ゴーリ、ガーリ、ゴーリ、ガーリ。すると、パトカーの短い警報が「プゥ!プゥ!」と二回。男に近づく。立ち上がる男。あれ、何か白いものを被っている。えっ? ナニ、あれ、まさか? えー! パ・ン・ツ! 白いブリーフを被ってたのだ…… 

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さらば、メイン・ライブラリー。2ヶ月半に渡るバトル・ロワイヤルを経て、私はこの図書館への「出勤」を辞めることにした。市庁舎のお膝元にある図書館があんな風であることは、いかにもこの街らしい大らかさだと思うが、私の場所では無かった。弘法筆を選ばずというが、集中力も粘りもない私は、選べるなら選びたい。

昔見た映画で題名を忘れたが、第二次大戦中のフランスの田舎町が舞台。ドイツ軍が侵攻してくるというので、町中の人が避難し、精神病院の患者たちだけが町に取り残された。何も知らない彼らは、突然の自由にウキウキとして、町に出て歩き回っている。その町に若いフランス兵士が紛れ込んで、楽し気な町の様子に魅了される。患者の愛らしい少女と恋仲になって、しばしパラダイス気分を味わう。ところが、ドイツ軍はやはり侵攻して来た。若い兵士は、患者たちと力を合わせて、町を守ろうとする。結末は、悲劇的だったと思う。精神病患者を天使のように描いた、ヒューマニティに満ちたいかにもフランスらしい反戦映画だったと思う。

私はこの図書館の行き始めた最初の頃に、この映画のことをまず思い出した。だが、あの環境の中でヒューマニティを持つことは難しく、あの場に集まる人々が放つエネルギーは、決して良い影響を私に与えなかった。臭い寒いうるさいという以上に、アルコールやドラッグであぶり出された行き場のない怒りを抱えた人々に、毎日自分を晒すことの害毒の方が問題だったと思う。あの地軸のズレたような環境には、「ヘンな人がいる」と笑っていられるような楽天的なものは、無かった。アメリカは、貧しい人や病んだ人を切り捨てる過酷な社会だ、という思いを毎日持ったものだ。それは、私にとって他人事ではない。

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ちなみ、私はいま、未来のエリート養成校である医学大学の図書館でこれを書いている。ここも寒いが、臭くもなく、まったく静かだ。医大生たちが目を真っ赤にして勉強している。ぴーんと張った空間の空気は悪くない。
さて、ここが図書館ライターの「出勤」の場になってくれると良いのだが。少なくとも、このメルマガが書けたので、吉かもしれない。