"Nights of Cabiria"


@Criterion Collection

小学校に入った頃、わが家に白黒テレビがやってきた。そのテレビを通して、私は洋画と出会った。あの頃はテレビ局もテレビ番組も少なく、1940〜50年代のフランス映画やイタリア映画がひんぱんに放映されていた。すべて字幕映画。子供なので苦労しながら観たものだが、『自転車泥棒』『鉄道員』『天井桟敷の人々』など、今や映画史に残る傑作などと評価が定まった名作が多かった。名作だから観た訳でもなく、感動なんて言葉も知らない頃だが、「映画を観て泣く」という体験をたくさんした。悲しい映画も多かったが、あの涙は感動の涙だったのだと思う。

イタリア映画 "Nights of Cabiria"(1957年、邦題『カビリアの夜』)も、その頃初めて観た。すべてが判った訳ではなかったが、ズドンとした何かを受け取ったような記憶がある。以来、何度もテレビで観ているが、映画館で初めて観て、あのズドンの意味がつかめた気がした。

第二次大戦後イタリアで生まれた映画運動、ネオリアリズム映画(セットやプロの俳優を使わず、素人を使って庶民生活のリアリズムを追求)の流れを汲む、フレデリコ・フェリーニ監督の初期の作品だ。大戦の傷跡がまだ生々しいガレキや焼け野原が残る戦後ローマの街を背景に、カビリアという貧しい娼婦の姿が描かれる。

当時のローマで実際にあった娼婦がらみの事件をもとに、好きな男に川に投げ込まれる冒頭シーンからエンディングまで、物語は幸薄い娼婦が幸せを求めあがく姿を追って行く。偶然映画スターに拾われ、豪華な彼のアパートでひと時の夢をみたり、聖母マリアに祈りを捧げたり、サーカスで催眠術をかけられたり、幸せの予感が手元をすり抜けていくカビリアの暮らし。しかし、ついに誠実そうな男の求婚を受けて、彼女は家財道具を売り払って、彼の元に走るのだが…。

期待と失望を繰り返すカビリアの姿は愚かしく、浅はかに見える。しかし、次第に彼女の無邪気さや楽天性に引きつけられていく。騙されても騙されても無垢な魂を失なわず、誰も傷つけることの出来ない美質を持ったカビリア。彼女を全身で演じ切ったジュリエッタ・マシーナフェリーニ監督の妻)が、圧倒的な素晴らしさだ。

マシーナが小さな体を一杯に使い、大きな目をクルクル動かしながら見せる演技は、今見るとやや大げさに見えるかもしれない。現代の女優たちは洗練されているので、こんな判りやすい演技はしないものだが、彼女が見せる喜びや悲しみ、失望や怒りの表現の中に、純度の高い人間の原質が見えるのだ。どんなに表面をごまかしても、私たちは内面でカビリアのように喜怒哀楽を体験し、一喜一憂を繰り返しているのではないだろうか。マシーナの演技には、そんな偽り難い人間の真実が、幸せが欲しいと願う人間の原型が表現されている。

こんなことが言葉に出来るようになったのも年を重ねたせいか。小学生の私にはただズドンとした重みだけが伝わった。カビリアという無垢な女性の魂を、全身で受け止める体験だったのだろう。この映画が、半世紀を経た今でも多くの人の心をつかみ続ける理由もそこにあるように思える。普遍的な人間の姿を描いた映画は、決して古くならないのだ。

現在英語圏でDVD化されているのは、90年代に発見された35mmオリジナルネガ(それまでは16mm)を修復し、字幕(英字)も大幅に改編した完全版。57年当時にはカトリック教会の圧力でカットさた場面も加わり、修復前と比べると画像も美しく、字幕も数段読み易くなっている。

脚本はフェリーニのオリジナルだが、娼婦たちの生き生きとしたやり取りを台詞に反映させるため、当時新進の詩人のピエル・パオロ・パゾリーニ(のちに映画監督)が協力している。主題曲も『ゴッドファーザー』のテーマ曲を作曲したニーノ・ロータが手がけ、まさにイタリア映画最盛期の才能が総結集した名作中の名作だ。
出演は他にフランソワ・ペリエアメディオ・ナツァーリ、 ドリアン・グレイなど。時間:1時間57分