"Letters from Iwo Jima"の主演俳優渡辺謙に聞く

2006年12月21日付、日米タイムス紙掲載


写真クレジット: Warner Bros. Entertainment Inc., DreamWorks L.L.C.

太平洋戦争の激戦地硫黄島を舞台に、日米双方の立場をそれぞれに描く二部作 "Flags of Our Fathers" (邦題『父たちの星条旗』』)に続いて、日本側を描いた "Letters from Iwo Jima" (邦題『硫黄島からの手紙』)が、12月20日日から特別公開されている。

三日で陥落すると言われていた硫黄島で、一ヶ月以上も米軍と戦った栗林忠道陸軍中将(渡辺謙)と、彼の率いた兵士(二宮和也加瀬亮 )や下士官伊原剛志中村獅童)たちの凄惨な死闘を静かに追った感動的な作品だ。全編日本語、英語の脚本は日系人のアイリス・ヤマシタが書いている。

監督は"Million Dollar Baby" などでアカデミー監督賞を受賞しているクリント・イーストウッド。年末の映画賞シーズンにあたって、米映画批評会議最優秀作品賞を獲得したほか、ゴールデン・グローブの最優秀外国語作品賞にノミネートされた。日本ではすでに公開中。多くの観客を集め、作品としても好評を得ている。

映画の米国公開に先立って、ニューヨークにプロモーションのため来ていた渡辺さんに、電話で話を聞いた。

ーニューヨークでのプレス試写の反応はいかがでしたか。
「字幕映画なのでどうかなと思ったのですが、日本での反応と同じだったのに驚きました。あの戦争から61年たってようやく、敵味方だった日本とアメリカが、あの戦争体験についてそれぞれの立場から語ることができたのだと思えました。それがまた、それぞれの国の人たちに伝わったという実感もありました」

ー作品参加への誘いは監督の方からあったのですか。
「ええ、こういう脚本があるからやってみないか、とクリントから誘われて、ほかの出演者のキャスティングの相談もだいぶ受けました。こういう俳優がいるがどう思うかとか」

ー役作りのためにどのような準備をされましたか。
「あの戦闘で生き延びた方のほとんどが亡くなっていたんです。語り部がいなくなった時、やっとこの映画で(真実が)語れる時が来たのだと理解して、たくさんの資料や本を調べました。あそこで亡くなった日米の兵士の声なき声をしっかり受けとめないと、この映画は作れないと思いました」

ー思い出深い撮影中のエピソードは?
「ドラフトでは栗林さんが切腹することになっていたのです。外国人にとっては、サムライとして当然と思えたようです。でも僕はむしろ、彼はサムライの美学を追求した人ではなくて、合理的かつ実践的な人だったのではないか、と思ったんです。いろいろ話し合う中で、栗林さんがアメリカの友人にもらった銃で(自分を)撃つ、という提案をしたんですよ。その方が彼のキャラクターに深みが出ると思ったので。クリントがそれに興味をもってくれて、その銃にまつわるさまざまなエピソードを後で加えてくれたんです」

アメリカ兵が日本人捕虜を撃ち殺すシーンが衝撃的でした。あの場面について話し合いがありましたか。
「あのシーンは最初から脚本にありました。読んだ時にクリントはやる気だなと思いました。人間を非人間的にしてしまうのが戦争なのだということを、きちんと描こうとしたのだと思います」

ー米国は現在戦争をしていますが、この映画との関連を監督やスタッフと話されたことはありますか。
「映画を公開する時期ということはあったと思いますが、特別にありませんでした。僕たちはあの時代を正確に伝えることに気持ちを集中していましたから、現在と繋げる必要は無かったんです」

アカデミー賞の主演男優賞という声も上がっていますが。
「いろいろな賞に関わることで、観る人と映画の距離が縮まって、たくさんの人に見てもらえるようになることが、一番大事なことだと思っています。それだけ深くプロダクションに関わりましたから。なんといっても日本語の映画ですからね。この映画を通して、日本の文化を紹介できたという自負があります」

ー今後の抱負は?
「今年日本で公開された『明日の記憶』という若年性アルツハイマーの映画が好評を頂きましたので、その全米公開ができたらと思っています。これからは、米国作品を日本にインポートするだけじゃなくて、日本文化をエクポートしていきたいですね」

"Letters from Iwo Jima"は現在サンフランシスコのエンバカデロ・シアターで上映中。今後各地での拡大公開が予定されている。上映時間は2時間20分。