"I'm Not There"


"I'm Not There" 写真クレジット:The Weinstein Company

ときどき観客を選ぶ映画というのがあるが、この映画はまさにそのタイプ。ボブ・ディランの伝記的映画なのだが、彼のことを知らない観客は蚊帳の外に放り出された気分になる。

ディランを初めて知る観客にも判りやすく、時代別に描いて、という親切な伝記映画の常套を一つも踏んでいない。ディランという複雑な顔をもった伝説的シンガーの人格と生きた時代をバラバラにして、個別に描いていくという手法で作られた映画。しかも、六人の俳優が彼を演じていくという凝りようだ。

貧困や差別を歌ったアメリカン・フォークの生みの親、ウディ・ガスリーに心酔していた子供の頃のディランをアフリカ系の少年が、ジョーン・バエズジュリアン・ムーア)と反戦歌を歌っていた頃の彼をクリスチャン・ベールが、良き家庭人とは言えなかった夫としての彼をヒース・レジャーが、初老で隠遁暮らしをしている彼をリチャード・ギアが、という演じ分けだ。

ケイト・ブランシェットも女性としてだだ一人、彼を演じている。60年代後半にフォークからロックへ傾倒し、ファンをがっかりさせていた頃の彼だ。煙草をふかして難解なことを言う神経質なディランを、ブランシェットが完璧にチャネリング。白黒映像であの頃のムードも良く出ており、彼女の演じたディランが一番よく似ている。しかも、女優が演じているという感じがしないのも驚いた。この部分だけで映画にすれば良かったのに、と思ったほどだ。

ディランを6人に演じ分けさせるというのは、斬新なアイディアだと思うが、その見せ方が問題。6人格と時代をひんぱんに行き来するために、断片的で散漫な印象が強く、ディランの偉大さや人間性が伝わってこなかった。抽象的な演出法に映画作家としての意欲を感じるが、彼の生きた熱い時代や巻き起こした事件、私生活やゴシップなど何も知らない観客にとって、蚊帳の外に二時間以上置かれるのは心地よいものではない。

監督のトッド・ヘインズはきっと熱烈なるディラン・ファンだったのだろう。それだけは確実に伝わってきたが。

上映時間:2時間15分。サンフランシスコは、21日からエンバカデロ・シネマで上映中。

"I'm Not There" 英語公式サイト:http://www.imnotthere-movie.com/