映画『魂萌え!』を観て


写真クレジット:2007『魂萌え!』パートナーズ

数年前に父が大病をして里帰りしたことがある。我が家は、老いた父が身体の不自由な母の面倒をみている典型的な老々介護家庭。父の発病は、母にとっても死活問題であるため、一人娘である私が帰国した。

帰ってみると、家は廃屋のごとく散乱。母がそのゴミに囲まれていた。父がだいぶ前から体調をくずして、家のことができなくなっていたことが察せられ、胸のつぶれる思いだった。さっそく、大掃除を始め、不要なものを大量に捨て、父が退院しても生活しやすいようにと家具を買い替え、大がかりな家の模様がえを断行したのだが、これが大失敗だった。

運良く父の回復も早く、ほっとして帰国した私の元に、週一回ぐらいのペースで父や母から電話が入るのだ。
「電子レンジ用の保湿フタはどこにしまった?」
「戦後始めて買った財布がないが、どうした?」
マズい。すべて捨ててしまった。

真夏の最中、汗みずくになって掃除に励んだ私へ労いの言葉もそっちのけで、問いつめてくる父と母。あんな古くて汚いものが、そんなに大切だったのか…。

映画『魂萌え!』を観て、この時のことを鮮やかに思い出してしまった。原作は大ファンの桐野夏生だ。夫に先立たれた専業主婦敏子が、新たな人生を歩み始めるまでを描いた桐野作品としては「異色」のもの。殺人も誘拐もなくヤクザも出てこない。同窓生との友情や一夜の情事などの小さな事件の数々と未知の人々との出会いを通して揺れる主人公の内面が、丁寧に書き込まれた読みやすい小説だ。

映画の方は、07年の1月に日本で上映され、すでにDVDも出ている。面白く読んだ小説だったので、映画を観るのはやや不安だったがとても良くできていた。古い日本映画を観ているような端正で美しい映像と手堅い演出で、40プラス世代が観やすい映画ではないかと思う。監督は『顔』の阪本順治。彼が脚本も書いている。

主演は風吹ジュンだ。男からも女からも「大人の色気のあるいい女」というこじんまりとしたイメージが定着している人だと思っていたが、この作品ではおっとりした主婦が少しつづ力をつけていく様子を自然に演じて好感が持てた。


映画の軸になっていたのは、敏子が夫(寺尾聰)に愛人がいたことを知って衝撃を受け、その女と対決するスリリングな展開にあったように思う。愛人を演じた三田佳子が、ちょっと心を病んだ初老の女の官能と情念を体現する名演を見せ、この映画一番の見どころになっている。

桐野原作らしい、カプセルホテルで暮らす孤独な老女(加藤治子)や働く女性、夜逃げを繰り返す男(豊川悦司)など、不況下の日本の現実も背景としてきちんと描かれ、見どころの多い映画なのだが、私が面白いと思ったのは、敏子の息子との関係だった。

敏子には30才を過ぎた息子彰之(田中哲司)がいて、ロサンゼルスに住んでいる。父の死で妻と幼い子ども二人を連れて急遽帰国し、葬儀に駆けつけた。敏子はこの時始めて彰之の妻や孫と対面し、心穏やかではない。妻の親にも会わせてもらっていない、と軽い怒りを言葉にする敏子だ。

納骨の際に一人で再帰国した彰之は、「母さんのことは、父さんに頼まれているから」と長男気取りで遺産問題を仕切りだし、この家をもらうと宣言する。実は、ロスでやっていた古着屋が失敗していたのだ。父の死を機に、渡りに船とばかりに家族ごと実家に転がり込もうとする抜け目のない彰之に、敏子の怒りは爆発する。

小説を読んでいる時は、彰之の身勝手さに腹をたて、敏子の憤慨が良く分かったが、映画を観たら別のものが見えた。なんだ、彰之は私ではないか。

ロスから帰国して強引に家のことを仕切り始めた彰之は、両親の持ち物を古い汚いと言って捨て、家を勝手に模様替えしていた自分を思い出させた。親の家は自分の家と思い込み、「親孝行」のつもりで彼らの生活を作り替えていた自分。両親は自分達の生活を壊されてさぞ困ったことだろう。あの顛末を思い出すと今でも冷や汗が出てくる。

親離れがしたくて海外に出た人は多いと思う。私もその一人だが、海外で長年暮らしていると逆に親との距離が取れなくなるのかもしれない。物理的な距離はあっても、精神的にはベッタリ。親の家は自分の家という思い込みなどその典型だ。

反面、離れて暮らしている親不孝をどこかで埋め合わせしたいという気持ちもある。親の発病などを機に、親不孝の負債を一気に返そうと張り切りすぎるのだ。彰之の動機の九割方は自己中心的なものだが、一割ぐらいの真実、一人になった母を思う気持ちもあったのだろう。彰之の気持ちも判らなくはない。

それにしても、敏子を「年だから」と決めつけるやり方はひどい。息子に無能力者のように言われ、傷ついた敏子の気持ちが身にしみて分かったのも、演じた風吹が自分と同世代だったから。映像で見る59才の敏子は、年上だと思っていた小説のイメージとは違う瑞々しさがあった。これも映像作品ならではの発見。今時の59才はこれぐらい若々しくて正解だろう。

敏子は、仕事に失敗した息子を哀れに思い迷うのだが、最終的には息子一家の受け入れを拒む。ついでに「自分の部屋だけは取っておいてね」と甘える、男と同棲中の娘(常磐貴子)にも一喝。敏子は古い家を売って、自分が住むためのマンションを購入する。夫の庇護のもと、家族のためだけに生きてきた敏子が60才を目前に自分の人生を生き始めるのだ。子供可愛さでズルズルにならない気概を見せる敏子像は、さすが桐野夏生と感心させられた。

さて、映画の方には原作にない素敵なエンディングが用意されている。監督の発案による改変で、原作者もこのエンディングは気に入ったようだ。
イタリア映画の名作『ひまわり』のラストシーンとあの胸を締め付けるテーマ曲と共に、敏子の長年の夢が叶うのだ。この一瞬のためにこの映画があったのだと思わせる素晴らしいラストシーン。私の魂も萌えた。