"Romance and Cigarettes" と "I'm Not There"


"I'm Not There" のケイト・ブランシェット
写真クレジット:The Weinstein Company

大好きな女優にケイト・ブランシェットケイト・ウィンスレットがいる。2人ともアカデミー賞の演技賞を受賞し、その後何度もノミネートをされている演技派。毎年何作かの映画に出ており、この年末にもブランシェットの "I'm Not There" (トッド・ヘインズ監督)とウィンスレットの"Romance and Cigarettes" (ジョン・タトゥーロ監督)が公開される。

共に主演作ではないし、映画作品としては感心できなかったが、2人がともかく素晴らしかった。

ブランシェットが出ている "I'm Not There" は伝説的シンガー、ボブ・ディランの伝記的映画で、クリスチャン・ベールヒース・レジャーリチャード・ギアなど6人の俳優が多面的な顔をもったディランを演じ分けるという凝った作品。その中でブランシェットも女性としてただ一人ディラン役に挑んでいる。60年代後期、フォークからロックへ傾倒し、ファンから不評をかっていた頃の彼で、どの男優よりディランらしく演じていた。

仰天したのは、彼女が完全に彼の肉体の中に消え、女であることさえ見えなくなっていることだった。どういうことなのだろう。自分の女の要素を、詩人ディランの細い神経、繊細さを表現するために使い切った、というべきか。

気難しいディランの資質は、実は女性的なものだったのかもしれない。女だからこそ(ブランシェットだからこそではあるが)表現できたディランの一面ではないだろうか。ものまねの一瞬芸などとは違う、ブランシェットの知的で魔術的な変身ぶりに目が奪われた。

一方、ウィンスレットは女の要素を肥大させた役柄に挑んで目をクラクラさせてくれた。

"Romance and Cigarettes" のケイト・ウィンスレット
写真クレジット:United Artist

"Romance and Cigarettes" は、誰もが知っているポピュラー音楽を使ったコメディ・ミュージカル。ウィンスレットは主人公の太っちょオヤジの若い愛人役でちょっとだけ出演しているのだが、観終わると彼女のことしか思い出せない。それほど強烈なのだ。

ショッキングピンクのブラにブルーの超ミニという勇姿で、バストを上下に大きく揺らせながらイタリア歌曲を歌い踊るのであるが、これがただただお下品。安っぽいペラペラのおねえちゃんの味が出まくりの熱演だ。歌も踊りも巧くさすがと感心するが、あえてこういう役を演じる気風の良さと遊び精神は、イギリス女優独特のものなのかもしれない。

同じアカデミーの演技賞を受賞したアメリカ女優(ジュリア・ロバーツハル・ベリー)で、ここまでやる人はいない気がする。汚れ役に体当たりで挑戦して演技賞受賞ってのが最近のパターン。一度受賞さえすれば二度と汚れる必要はナシ、ということなんだろう。つまらない話だ。

この2人を見ていると、女としての感性や肉体を捻ったり延ばしたり縮めたり、自由自在。女であることすらも着脱可能な単なる記号に過ぎない、という気にさせられる。飛び抜けて上手い女優だから可能なことではあるが、女はこうあるべき、自分はここまでと限界を作らない柔軟な精神性が、彼女たちの原動力になっている気がする。

軽い嫉妬を込めて、自由ってこういうことなんだ、と画面を見上げた私だ。