"Alexandra"


"Alexandra" 写真クレジット:Cinema Guild
見終わると夢を見ていたような気分になった。普段眠っている意識の深い部分に触れられたように感じたからだろうか。年老いた女性が孫に会うために駐屯地を訪れた。その短い滞在を通して不可視なものを映し出す希有な作品である。
場所は現在もロシア政府と紛争が続くチェチェン共和国国境近く。が、第一次大戦イラク戦争のようにも見える「戦地」の共通性を持った空間が舞台だ。主人公の名はアレクサンドラ。年齢は70代後半だろうか、気丈で口数の少ない女性だ。物語は彼女が貨物列車に乗って駐屯地に向かう様子から始まる。

彼女を迎える兵士たちは礼儀正しく、車内でヘルメットを脱いで敬意を払う。駐屯地に着いて成長した孫と再会するが、彼は忙しく基地を後にする。残されたアレクサンドラは基地内を歩き回る。ふくよかな彼女の存在は戦車や銃という硬く機械的なものに囲まれた基地内ではまったく異質。そんな彼女をみつめる兵士たちが点描される。

アレクサンドラは近くの市場に行き、店を出すチェチェンの年老いた女性と出会う。「兵士はみな子供のように見える」と、男の戦争とその愚を語りあう二人だ。

突然、彼女の隣にかけよって小声で何かを語る若い兵士。彼女に丸坊主の頭を撫でてもらい笑顔をもらす別の兵士。それを見つめる上官の目も厳しくはない。彼らのさりげない行動とまなざし。兵士たちは彼女に何をみているのだろう。戦地にないもの。懐かしく温かなもの、優しく包容するもの…。

反戦という枠に押し込めてしまうと夢の感覚が消えそうになるのだが、反戦の映画である。また、思考を司るのが左脳なら、感覚や感性を司る右脳に訴える反戦映画とも言える。

主演をしたロシアの国民的オペラ歌手ガリーナ・ヴィシネフスカヤが素晴らしい。ロシア史と共に華やぎと厳しさ、怒りと悲しみを生き、演技でもない、役割でもない自分の顔を持った彼女の存在に打たれた。

ロシアの名匠アレクサンドル・ソクーロフの最新作。去年のカンヌ映画祭でバルムドールの最有力候補と言われた。日本ではイッセー尾形昭和天皇を演じた05年の『太陽』で知られた監督。個人的にはロシア版源氏物語絵巻のような“Russian Ark"(『エルミタージュの回廊』02年)で魅了された。99分の映画をワンショットの長回しで撮った作品で、これも夢をみているような映画体験だった。

上映時間:1時間32分。サンフランシスコは30日よりオペラプラザで一週間のみ上映。

"Alexandra"英語公式サイト:http://www.cinemaguild.com/alexandra/