"Synecdoche, New York"

"Synecdoche, New York" 写真クレジット: Sony Classics
99年の"Being John Malkovich" の奇想天外な脚本で注目を浴びたカウフマン。今年のカンヌ映画祭でコンペ作品として上映され、傑作との呼び声も聞こえた作品だ。
主人公は、ニューヨークに住む40歳の劇作家カデン(フィリップ・シーモア・ホフマン)。幼い娘と画家の妻アデール(キャサリン・キーナー)と平穏な暮らしをしていたはずだったが、妻が突然娘を連れてドイツへ遁走してしまう。

それと同時に奇妙な病いに次から次と罹患し、カデンの孤独と不安は増していく。そんな頃、巨額の助成金を得た彼は、死ぬ前に生きた証となる真実の作品を残そうと、巨大な倉庫をステージにし、そこに実物大のニューヨークを再現するという、壮大な劇作に取り組むことになる。

妻と娘への愛が断ち切れないまま、劇場で働くヘイゼル(サマンサ・モートン)や女優(ミシェル・ウィリアムズ)などと不実な関係を重ねるカデン。次第に、舞台に自分自身と女たちが登場し始め、カデンは現実の生活と舞台セットの境が見えなくなる。
彼の世界は混沌とし、リハーサルばかりの終わりのない劇作が続いていく……。

カデンと彼を演じる俳優が現れるあたりから、カウフマンらしい迷宮感が立ち上がり始め、さすがと思わせる奇想さは健在。だが、どうもノレない。病いや死の影があるからなのかもしれないが、鈍重な印象だ。

何が何だか分からないがともかく面白かった"...Malkovich"や"Adaptation"(共にスパイク・ジョーンズ監督)の軽妙さや、大好きな"Eternal Sunshine of Spotless Mind"(ミシェル・ゴンドリー監督)の流れる物語性が感じられず、観終わるとグッタリしてしまった。

神経症的な作家の作品への過剰な思い入れと、女性不信に長々と付き合わされた感じだ。妄想と現実が錯綜する自己の内面世界を自ら描くからには、どこか自分を突き放す勢いと、省略する勇気が必要ではないか。

カウフマンの監督としての演出力には疑問が残り、Synecdoche=代喩という不可解な題名も単なる哲学的な装いと思わざるを得なかった。

せめてもの見どころは、上記の女優を始め、エミリー・ワトソンホープ・デイヴィスなど実力派女優陣たちの競演。それぞれにカウフマンの手腕に期待して出演したことがうかがえるだけに残念だ。

上映時間:2時間4分。サンフランシスコは、エンバカデロとサンダンス・カブキ両シアタで上映中。

"Synecdoche, New York"英語公式サイト:http://www.sonyclassics.com/synecdocheny/