"La Pianiste"(2001年)


"La Pianiste" 写真クレジット:Kino International
この映画を紹介するべきかだいぶ迷っていた。人に冷たく嫉妬深い女性の話なので、映画の魅力をうまく書ける自信がなかった。そんな時は人と話すのが一番。
知人にこの映画の話をしたら「ああ、それって何年か前にノーベル文学賞をとったエルフリーデ・イェリネクの小説のことでしょ?」と言われてびっくり。原作があったことを初めて知った。
「イェリネクってすごい変人よ。外出恐怖症みたいでノーベル賞の授賞式にも欠席して、ひんしゅくをかったの。過激なフェミニストとかポルノ作家とか言われていて、ヨーロッパには彼女を嫌う文学者がいっぱいいるわよ」と詳しく話してくれた。

調べてみると小説 "La Pianiste" (85年、邦題『ピアニスト』) は、オーストリア生まれのイェリネクの代表作で、自伝的な内容であるという。これが彼女の自画像なのだろうか。だとすれば確かに変人だ。どうりでこの映画が面白いはずだ。

しかも、監督は悪評の高い『ファニーゲーム』(私は興味深く観たが)など、知的で挑発的な映画ばかりを作っているドイツ生まれのミヒャエル・ハネケ。イェリネクとは類友、彼だからこそ "La Pianiste" を映画化できたとも言える。

物語はフランス映画でよく描かれる年上の女性と若者の恋である。ところがこの恋がたいへんなクセものなのだ。

コンサート・ピアニストを目指して厳しい訓練を重ねていたエリカ(イザベル・ユペール)は夢が破れ、今は名門ウィーン国立音楽院のピアノ教授をしている。エリカの行動に一々干渉する母(アニー・ジラルド)と二人暮らしだ。

ある小コンサートでエリカはハンサムな若者ヴァルター(ブノワ・マジメル)と出会い、彼は一目でエリカに恋をする。裕福な育ちでスポーツマン、ピアノの才能もあるという、恋の相手としては理想的な若者だ。

彼はエリカに近づくために音楽院に入学。エリカに熱い恋心を打ち明けるが、彼女は無理難題を言って彼を寄せ付けない。もちろん、エリカもヴァルターに惹かれているのだが、彼女の恋は一筋縄ではいかない。なにせ、エリカはアダルトショップでポルノは観るし、カーセックスの覗きはするし、性器に自傷行為もするというヒロインなのだ。

"La Pianiste" 写真クレジット:Kino International
ある日、嫉妬から悪魔的な事件を起したエリカはトイレに駆け込む。彼女を追うヴァルターは、公衆トイレの床(!)で強引な口づけをするが、エリカはヴァルターに完全なる服従を求める。彼は訳が分からないままエリカを追い続け、ついに彼女の秘密に行き当たる。なんとエリカはヴァルターに自分を縛り、打ってくれと哀願するのだ。完璧な愛の証しとして。

これだけ書くとポルノ映画のようだが、そうした性欲刺激仕様の作品ではない。むしろ心理サスペンスの趣きが強い。主人公が若い男との甘い情事ではなく、完璧な愛を得ようとあがく悲痛な姿を冷徹に描いていく。こんな面倒な手順を踏まなければ愛が確認できないのか、とグッタリしてしまうが、それが究極のロマンチスト、エリカの世界なのだ。

彼女は見かけとは裏腹に男のように生きてきた。ウィーン国立音楽院というノーブルな世界で高尚ぶる一方で、アダルトショップに通う二面性はいかにも男性的だ。

口うるさい母との関係はほとんど夫婦。なんと二人は同じベッドで寝ているのだ。エリカが母にのしかかり「愛している」と連呼する場面にはやりきれない絶望感が漂う。歪み切って自分でもどうにもならないエリカ。次第に彼女の生の牢獄性が見えてくる。

ヴァルターとの恋を通して、初めて女性性を開花させようとしたエリカだが、若い彼にはエリカの捻れが理解できない。彼女を「変態」と罵り、彼が信じる「ノーマル」な世界にスタスタと立ち返るヴァルター。

彼の後姿を見送るエリカの無表情な顔。そこに悲しみ、諦め、怒りの感情がかすかに去来し、観客はここで初めてエリカを理解する。ユペール一世一代の名演である。そして、一瞬おいた後の衝撃。これぞハネケ監督の独壇場というエンディングだ。

映画からとてつもない刺激を得たいと思う人にぜひお薦めしたい一作。ちなみに映画の方も01年のカンヌ映画祭でグランプリ、最優秀主演女優賞、主演男優賞を受賞している。

上映時間:2時間12分。