"Snijeg"

"Snijeg" 写真クレジット:Pyramide International
ずっとイスラム圏の女性監督の作る映画を観たいと思っていた。『ペルセポリス』のようなコスモポリタンの孤独を描いた作品もあるが、見たかったのは平凡な暮らしをしている女たち。彼女たちは何を大切に思い、どんな思いを抱いている暮らしているのか。西洋的な物差しでは測れない彼女たちの生の声を届けてくれる映画を待っていた。
そんな期待に応えてくれる映画を先月のサンフランシスコ国際映画祭で観た。ボスニアアイーダ・ベジク(Aida Begic)監督が撮った "Snijeg" (雪の意味)。去年のカンヌ映画祭で批評家週間グランプリを受賞した劇映画だ。

舞台はボスニア・ヘルツェゴビナ紛争終結後の97年、イスラム教徒が暮す貧しい山村スラヴノだ。民族浄化/大量虐殺があったと言われるこの紛争で、村から男たちが消えた。残ったのは老女から少女までの女たちと幼い少年と老人一人だけ。

物語は彼女たちが集って、村にいた男たちの真似をして名前を当てるゲームに興じているシーンからはじまる。明るく振る舞う女たちは男たちが消えたことを信じたくない様子だ。

彼女らは力を合わせて生活をせねばならず、若いアルマがリーダー役となり、小さな庭に集まってジャム作りに精を出す。これを売って生計を立てようというのだが、ジャムは売れない。アルマは敬虔なイスラム教徒で、病身で厳格な夫の母の面倒をみながら、毎日の礼拝を欠かさない。村でスカーフをつけているのは機織りをする老女と彼女だけだ。

伝統的な暮らしを守るアルマと村の外に希望を見いだそうとする女たちの対比が巧い。ジャム作りにそっぽを向ける女は、英語のポップ音楽を聞き、派手な服装をしているし、ジャムを売りにいく女は赤い服に着替えて化粧をして身支度する。彼女たちは皆これから先を心配し、動揺している。男手がないまま、雪が降る季節になったら到底自分たちだけはやっていけない。それは確かなことだった。

そんな女たちの中で平静さを保っているアルマ。彼女を支えているのは、紛争前から続けていた日課ではないだろうか。収穫した果実を手押し車で運び、大鍋を使って手間ひまを掛けるジャム作りの後は、作りためたピクルスの瓶を整理。愚痴っぽい養母に食事を届けたるのも大事な仕事だ。

一日中動き回る働き者のアルマにも静かな時間がある。毎朝村はずれの泉で禊ぎするひと時だ。清々しい朝の一時の静寂。大きなブルーのスカーフをなびかせて泉に向かうアルマを後ろから追いかけるシーンは、この映画の中でも一番美しい。
働くこと、祈ることが彼女を安定させているのだ。

物語は後半になって、村の土地を買い上げリゾート開発を計画してる男が登場して、さらに対立とテーマが明確になっていく。土地を売って村を出るという若い女が「もっと良い暮らしがしたい」と叫ぶと「良い暮らしはここにあるじゃない」と返すアルマだ。

土地買い上げの口利きをしているのが隣村のスラブ人の男という設定も巧い。紛争の際は敵側だった男で、物語は紛争時代の暗闇へと戻っていく。女たちは消えた夫や息子たちの消息をこの男に問いただし、男はおずおずと暗い山の洞窟に女たちを案内するのだった。

こんなのどかな山村で、かつては隣村同士だったものが殺し合ったのだ。なんという惨たらしさだろう。静かな静かな声で語られるボスニアの女たちの体験だ。

"Snijeg" 写真クレジット:Pyramide International
監督は写真(上)をみると主演女優とそっくり。撮影中もずっとスカーフをつけたままで、イスラム教徒であることの誇りとボスニアの再生への希望をアルマに託したのだろう。脚本も自身で書き、女性プロデューサーと製作会社を立ち上げこの作品をつくった。長編映画はこれが初めての33歳。紛争の頃は大学生だったという。こういう女性たちにもっと映画を作って欲しいと願わずにはいられない。
上映時間:1時間40分。日本での上映未定。