"Precious: Based on the Novel 'Push' by Sapphire" 2(邦題『プレシャス』)


『プレシャス』写真クレジット:Lionsgate
アフリカ系の母子家庭を舞台に、母親に惨い虐待を受ける少女を主人公にした映画が、公開前から話題になっている。今年のサンダンス映画祭で最優秀審査員賞、観客賞など3賞を受賞し、カンヌでも高い評価を得たことや、人気の高いTVパーソナリティ、オプラ・ウィンフリーが絶賛していること、人気歌手がノーメークで熱演していることなどマスコミ的話題性もあるが、注目したいのはその内容である。
舞台は1987年のニューヨーク、主人公プレシャス(「最愛の人」の意味)はハーレムの高校に通う16才で、生活保護を受けている母と二人暮らしという設定だが、この少女と母が度外れている。プレシャスはかなり太った少女で、文盲。友人は一人も無く、道を歩けばからかわれ、2度目の妊娠をして学校を追われてしまう。母は一日中家にいてテレビを観ているだけ。プレシャスに家事をさせたあげく、彼女に皿を投げつけ、フライパンで殴り掛かり、お前など誰も必要としていないと罵詈雑言の限りを尽くす怪母である。

虐待、貧困、無知も極まった感のある話なのだが、センセーショナリズムに落ち入ることなく、圧倒的なリアリティで主人公の心の軌跡と成長の姿を見せていく。『カラー・パープル』を読んだ時の衝撃に似て、こういう作品を良いの悪いのと評価すること自体が無意味に感じられるほどの力作だ。

原作者のサファイア。写真クレジット:Random House
原作小説の"Push"を書いたのはサファイアという詩人で、ニューヨークで児童虐待の調停人や教師をした体験を元にこの小説を書いた。96年に出版された当時は、文法を無視した文体や、性的虐待の実態をリアルに書き切った内容で賛否両論の評価を得たようだが、これが出世作となった。ゴーゴー・ダンサーの経歴もあり、有色人種のレスビアン・ライターのグループに属しながら詩人、作家の道を切り開いてきた人だ。

本作の中でとりわけ胸を衝くのはプレシャスの妊娠の原因だ。父親による強姦、12才で産んだ一人目の子はダウン症だった。サファイアはインタビューの中で「プレシャスにモデルはいないが、あえて言えば32才の自分の教え子かもしれない。彼女には知的障害を持つ20才の娘がいた。父親に強姦されて12才で娘を産んだのだ。アフリカ系コミュニティで児童強姦の話題はタブーだが、かなり多くの子供たちが親族や家族の知人などに性的暴行を受けており、加害者や被害者に男女の別はない」と語っている。サファイア自身も被害者の一人だ。

この映画の推薦人を買って出ているオプラやコメディを得意とする映画監督タイラー・ペリーも自身の性的虐待体験を告白している。ペリーは友達の父親に性的暴行を受け、現在も実父からの虐待が続いている現実も明かし「この映画は自分自身の体験と一緒だ」と語っている。知名人となった彼らが敢えて虐待体験を明かす意味は大きく、彼らの勇気に頭が下がる思いだ。

映画はプレシャスが転校先の小さな学校に通い始め、英語を教えるレイン先生と出会う後半から明るさを持ち始める。初めて読み書きを学び、自分を語る術を得たプレシャス。移民や同性愛者に激しい偏見をもっていた彼女が、問題を抱えた移民の生徒らと一緒に授業を受けるうちに理解が生まれ、凍り付いていた心が溶け始めていく。プレシャスが家出した時、彼女を家に引きとり、一番の力になってくれたレイン先生は彼女が大嫌いなレスビアンだった、というエピソードも面白い。どん底にいたからこそ蔑視する対象が必要だったプレシャスだ。

最後に、母親の虐待の理由が夫を盗られた嫉妬であることが明かされる。「誰が私を愛してくれるのよ」と叫び、自分のために涙を流す母だ。
一体この母はどんな育ち方をしたのか。プレシャス同様に誰からも愛されることなく生きて来たのだろう。棄民、その荒涼に暗澹とする一方で、未来への希望をかき消された子供たちのために、無私の努力を惜しまない教師や福祉士の働きぶりが描かれ、暗黒の世界に希望の光を灯している。

愛の育めない家族が多いなら家族の枠を越えて愛を実現しよう、というアフリカ系コミュニティの力強さを見せつけられる思いだった。詩人サファイアがどうしてもこの小説を書かねばならなかった理由も、ペリー監督が虐待体験を明かした理由もすべてそこにあるのだろう。
監督はハル・ベリー主演の『チョコレート』を製作したリー・ダニエル。

『プレシャス』英語公式サイト:http://www.weareallprecious.com/