『Lebanon』(邦題『レバノン』)


レバノン』写真クレジット:A Sony Pictures Classics
「私は1982年6月6日の午前6時15分に初めて人を殺した。私は20歳だった。」これはプレスノートに書かれた監督の言葉で、記された日付はイスラエル軍レバノンに侵攻したまさにその日である。
本作の脚本/監督をしたサミュエル・マオスは、この戦争にイスラエル軍兵士として従軍した。任務は戦車の砲手。この映画は彼のその体験を下地にしている。今年前半期で観た映画の中で最もパワフルな作品で、昨年のヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を獲得したのも頷ける。

1982年6月、イスラエル空軍がすでに爆撃をして破壊されたレバノン側の町へ、一台の戦車が捜索のために派遣された。物語は、その戦車内にいる砲手、指揮官、砲弾積み込み兵、戦車操縦兵の4人の密室のドラマとして描かれる。

周囲は敵だらけ、狭くて暗い戦車内で、小さな照準レンズからしか外の様子は見えず、指示は外にいる部隊長の音声に頼るだけという状況に置かれた若者たち。皆戦争体験ゼロ、突然敵地のど真ん中に侵攻し、戦車内の熱さと緊張でそれぞれに平静さを失っていた。

砲手( オシュリ・コーエン)は、目前からやってくるトラックが敵かどうかの判別もつけられず、砲撃せよの指令に手が震えて砲撃できない。戦車内の命令系統もメチャクチャで、指揮官の指示を「嫌だ」と反抗する積み込み兵。そんな彼に「友達だと思ってたのに」と返すしかないヤワな指揮官だ。

未熟で素朴な彼らには戦場に来る準備など出来ておらず、何が起きているのか、誰が敵で誰が味方なのかも分からないまま、彼らの焦燥、恐怖は増幅し、戦地の混乱に翻弄されていく。

カメラを狭い戦車内のセットに設置して閉塞感を出し、戦車外の出来事のほとんどを十字の線が入った照準レンズを通して見せていくため、観客はまるで自分が戦車の中にいるような錯覚を起すだろう。水の溜まった戦車の床、汗と油に塗れた兵士たち、まるで画面から機械油や硝煙の臭いが漂ってくるようだ。

目前で殺される女や子供たちを照準レンズから覗く砲手の大きく見開かれた目が、戦地の恐怖を映し出す。徹底したリアリズム手法で描かれる兵士たちの極限体験を通して、戦争の狂気、無惨さが観る者を圧倒していく。08年の『バシールとワルツを』も同じ戦争を描いた秀作だったが、本作は戦場体験そのものを真正面から描いた戦争映画の傑作と呼んでも良いと思う。

マオス監督は、不思議な体験をしている。本作の撮影初日に突然この戦争で負傷した足が痛み出したというのだ。何度もこの体験を書こうとして書くことが出来ず25年の年月が流れたが、その間一度も痛んだことのない傷。ところが、脚本も書き終え、撮影を始めようとしたとたん、古傷がその記憶を痛みとして表現した。傷跡には3つの破片が残っていた。身体は憶えていたのである。人の記憶は脳にだけ刻まれるものではないらしい。

上映時間:1時間34分。サンフランシスコは20日からエンバカデロ・しシアターで上映開始予定。

レバノン』英語公式サイト:http://www.sonyclassics.com/lebanon/