"The Tillman Story"


"The Tillman Story" 写真クレジット:The Weinstein Company
イラクアフガニスタン戦争を扱ったドキュメンタリー映画は数多く作られているが、本作はその中でも群を抜く秀作だ。物語の中心に戦死した息子の死の疑惑を追う母親の姿があり、彼女の抑制された怒りと真相究明の矛先は米軍の最上部まで延びて行く。揺るがぬ信念が持った母の姿にアメリカという国の良質な部分に触れる思いがあり、心に深く残る作品だった。
母の名前はダニー・ティルマン、息子の名はパット。9/11事件のショックが冷めやらぬ02年、NFLプロフットボール選手でありながら、数百万ドルの契約金を放棄して陸軍に志願して有名になった青年だ。「英雄」「愛国者」などと彼を大げさに讃えたメディアの騒ぎぶりが記憶に残る。

当時の彼は結婚したばかりの26歳。そんな彼がアフガニスタンで戦死した。04年の春、敵側の待ち伏せにあって銃撃されたという。まさかあの彼がとびっくりしたが、それと同時に「名誉の戦死、究極の自己犠牲、真の英雄」とメディアは大騒ぎをし、テロとの戦いを最重要課題としたブッシュ政権のポスター・ボーイ、広告塔としてしっかり使われた感があった。ところが、数ヶ月すると彼の戦死が味方の誤射によるものと発表されたのだ。

ダニーを中心としたティルマン家の人々は、軍は最初から誤射を隠すつもりだったのではないかと疑惑をもった。最初に息子の戦死の様子を説明された時から「嘘くさい」と感じていたダニーは、計画的な偽装工作があったのではと、軍に迫っていく。

単なる報告の間違いだったと返答した軍だが、パットの死の直後に軍服が焼かれたこと、日記が紛失したこと、彼が撃たれた際に側にいた兵士はその場で口封じをされたこと、など次第に偽装の実態が明かされていく。また、ダニーは軍から膨大な証言書類を得て、パットが誤射された当時、小部隊を二つに分けて危険な地域に侵攻していた指揮官の過失や、敵の所在を確認もせず、ただ銃を乱射していた兵士の様子などを知っていく。

その過程を実際に現場に行って再現するスリリングな手法を通して、パットの死の無念さが胸に迫る。監督は『My Kid Could Paint That』や『Trouble the Water』など優れたドキュメンタリー作品を多く作っているアミール・バー・レフ。虚像ばかりでパットの実像が見えないことに興味を持って、本作に取り組んだという。

03年にイラク戦争に従軍して帰還後「あの戦争は間違っている」と失望を家族に語っていたというパット。だが3年の任期終了までは辞めないと決めて04年にアフガニスタンに赴いた。英雄や愛国者扱いされるのを一番嫌っていたのはパット自身だったと家族も戦友たちも口を揃える。

全編を通じて母ダニーの表情は同じだった。息子の死を語る時も、フットボール球場で盛大な追悼式が催された時も、ラムズフェルドまで引き出した米国連邦議会公聴会で軍上層部全員が死の偽装工作を否認したときも同じ。彼女はずっと憮然としていた。悲しみも嘆きも腹に納めて、息子の死を利用し、意図的に国民を欺いた軍のあり方に強い憤りを感じている顔。それは国を本当に信じている人の顔であり、この国をギリギリで健全に保っていく力を感じさせてくれた。

上映時間:1時間37分。サンフランシスコはセンチュリー・シアターで上映中。
"The Tillman Story" 英語公式サイト:http://tillmanstory.com/site/