"Undertow"(原題 "Contracorriente")


"Undertow" 写真クレジット:The Film Collaborative, Héctor Álvarez
LGBT(レスビアン、ゲイ、バイ、トランスジェンダーの略)フィルムをたくさん観て来たと自負するレスビアンの知人が「今までに観た中で一番良かった」と推薦してくれた映画だ。小さなペルーの漁村を舞台に、出産を控えた妻のいる若い漁師と街から来た画家の青年との恋を描いている。
今だに根強いマッチョ信仰と自分の中のホモフォビア(同性愛者に対する恐怖感や嫌悪感)に苦闘する青年を描くという極めてラテン・アメリカらしい作品で、今年のサンダンス映画祭観客賞受賞の他、世界各地の映画祭で様々な映画賞を受賞している。脚本/監督はペルー出身のハビエル・フエンテス - レオン、彼の初監督作品だ。

LGBTフィルムで、ホモフォビアが描かれることはしばしばあって、その多くは外的な差別偏見を描いてきたように思う。本作の舞台となるラテン・アメリカもマッチョの国なので、ゲイへの偏見は半端なものではない。

当然ながら漁師のミゲルは画家サンチアゴとの関係をひた隠しにして、逢瀬を重ねている。ところが、ある日家に帰るとサンチアゴが居間に居るではないか。驚いたミゲルは彼に出て行けというが、なんと同じ部屋にいる妻に彼の姿は見えていない。サンチアゴは死んで、幽霊となってミゲルの前に現れたのだ。

ラテン・アメリカ文学でしばしば描かれる幽霊の登場という幻想的な手法を使って、本作はここからミゲルの内的な葛藤を描く物語へ向かっていく。題名のUndertowは底流、暗流の意味で、表面に現れない内面の動きを象徴している。

消えたサンチアゴの噂が流れ始め、彼がゲイだったこと、どうやらミゲルと付き合っていたらしいということが村人に知れ渡る。噂の真偽を問う従兄弟に「俺は男だ、そんなことはしない」と激しく否定するミゲル。彼の意識の中では彼はゲイではなく、男のとの関係を認めることは男であることを否定することでしかないのだ。

ところが、そんな彼のマッチョ信仰は揺らぎ始める。子供を産んだばかりの妻はミゲルの不誠実を詰って家を出て行き、霊界に行けず彷徨うサンチアゴはミゲルの嘘を問い、海に沈んだ自分の死体を見つけて葬送してほしいと頼むのだった。

"Undertow" 写真クレジット:The Film Collaborative, Héctor Álvarez
この漁村では死者の近親者が葬送の儀式を執行して、亡がらを海に水葬する習わしで、それをして貰えない死者は永遠に生と死の間を彷徨い続ける。ミゲルはサンチアゴを葬送せねばならず、葬送に際して村人に自分たちの関係を明かさねばならない。サンチアゴの死がなければここまで自分と向き合う必然はなかったミゲルは、究極の選択を迫られるのだった。

ミゲルは最後「自分のしたことの責任を取るのが男だ」と妻に言う。素朴な彼にとってのカムアウトが「男になる」という言葉で表現されるところがいかにもラテン・アメリカらしい。

監督のフエンテス - レオンは「ラテン・アメリカの男にとって、マッチョであること以外のロールモデルが極めて少ない。そのために狭義の男らしさに男達は縛られ、それが差別の温床になっている。もし、誰もが自分らしさを肯定的に受け入れることが出来れば、偏見/差別と向き合うことはもっと容易になるだろう。なぜなら、自分を受け入れることは困難に向き合った時に自分に大きな力を与えてくれるからだ」と語っている。

本作を観ながらカムアウトはLGBTに限った問題なのだろうか、と思った。他人の期待する女性像や仕事人像、評価や判断が気にならない人がどれだけいるだろう。「自分らしさを受けれる」というのはいくつになっても、誰にとっても難しいことではないだろうか。カムアウトはLGBTの問題なんて彼岸の火事扱いしていると「本当の自分になる」機会を見失ってしまうような気がする。

上映時間:1時間40分。サンフランシスコはブリッジ・シアターで上映中。

"Undertow" 英語公式サイト:http://www.contracorrientelapelicula.com/index.php