"When We Leave"(原題『Die Fremde』)


"When We Leave" 写真クレジット: Olive Films
映画は世界への窓だということを改めて痛感した。今年のアカデミー賞外国映画賞候補作としてドイツから出品された作品で、ドイツで生きるトルコ系の若い母親を主人公にしている。
トルコの首都イスタンブールで夫の家族と暮らしていたドイツ生まれのウマイ(『愛より強く』のシベル・ケキリ。トルコ系ドイツ人)は、夫の暴力に耐えかねて幼い一人息子を連れて婚家を去り、ベルリンの実家に帰ってくる。

単なる里帰りと思った母は二人を歓迎するが、ウマイが婚家に帰る意思がないことを知ると顔色を変える。厳格なイスラム教徒であり、生活の基盤をイスラム・コミュ二ティに置くこの一家にとって娘が離婚することは一家の名誉を著しく傷つける事態だからだ。

身体に無数の傷を負った娘を痛ましく思う母だが、孫との再会を喜ぶ父には秘密で、早く帰るようにウマイに勧める。しかし、ウマイの離別の決意は堅く、ついに家族全員に知れわたることに。激高してウマイを詰る兄、重い沈黙でウマイの翻身を迫る父、婚約者から破談を言い渡されて怒る妹など、一家に大きな波紋が広がり悲劇のドラマが動き始める。

作品の冒頭で、息子を連れたウマイに銃を向ける少年の鮮烈な場面があり、この少年が実はウマイの弟であることが次第に明らかになっていく。そう、この映画は「名誉の殺人」を描いた作品なのだ。

脚本/製作/監督はウィーン生まれのフェオ・アラダグ。女性に対する暴力に反対するアムネスティのキャンペーンとの関わりの中から本作を生み出した。題材から予想されるような主張性やドラマ性を抑え、若い女性のデリケートな心理と静かなサスペンスを盛り上げていく手腕はデビュー作とは思えない出来映え。世界各地の映画祭で作品賞や主演のケキリが女優賞を受賞している。

「名誉の殺人」(honor killing)については、「女性の婚前・婚外交渉を女性本人のみならず『家族全員の名誉を汚す』ものと見なし、この行為を行った女性の父親や男兄弟が家族の名誉を守るために女性を殺害する風習のことである。」(ウィキペディア)程度のことは知っていたが、この映画のことを調べているうちに驚く事実に行き当たってしまった。

3月上旬のトルコの英字新聞の記事によると、トルコでは女性への殺人事件が驚異的に増えているというのだ。02年で66人だったものが09年年頭から7ヶ月だけで953人。なんと14倍にも増え、ほぼ毎日女性への殺人が報道されているという。しかも、加害者は夫や父、兄弟などの親族によるものがほとんどで、つまりは「名誉の殺人」が増えているというのだ。ギョッとしないか。

前述の記事でトルコのWomen for Women's Human Rightsの活動家は「殺人は氷山の一角にしかすぎない。夫の暴力の犠牲となる女性は数万とも言われており、家を出たくてもシェルターが全国にたった26しかない。ちなみにドイツには800カ所もある」という。

女性への殺人増加はトルコにとって最悪の社会問題であるにも関わらず、政府はその対応の不備に対する批判を「欧州連合への加盟に向けて、欧州内で最も優れた男女平等法を社会の隅々にまで行き渡るよう導入した」と言い逃れをしている。しかし、むしろその男女平等法が「名誉の殺人」増加の原因となっているのではないだろうか。女たちが自由を求めれば求めるほど、イスラムの生活習慣や因習に支えられた父権は脅かされ、締め付けはさらに強力になっていき、殺人という最終手段を取ることを容易にしているのではないか。

映画に戻ると、ウマイは実家を追われて、息子と共にシェルターに入って独り立ちの足がかりを掴み、働きながら夜学に通うようになる。ドイツにいるウマイはトルコの女たちよりは恵まれていると言えるだろう。

"When We Leave" 写真クレジット: Olive Films
自活を始めたウマイは何度となく家族との和解を試みるのだが、一家の態度は変わらない。妹の結婚式に息子と共に行った際には、兄に殴られて路地に放り出される始末。彼女は意思も強く聡明な女性だが、何度も粘り強く家族を説得すればいつかは受け入れて貰えるのではないか、と信じているナイーブな面を持っている。まさか、一族の男達が彼女を殺す計画を立てているなどと思っていない。

事実、ウマイの父親は思慮もあり愛情深い男性だし、姉を慕う弟の動揺もキチンと描かれ、この殺人が狂信的な男達によってなされたという描き方はされていない。しかし、娘への愛か家族の名誉かの選択を前に、何を大切と思うかの決定的な意識の違いは存在し、そのギャップの大きさがトルコの現状と二重写しになっていく。

トルコで次々と殺されている女たちの何人がその悲劇的な運命を予想し得ただろう。旧態依然とした文化と意識が厳然と残る社会で、西洋化、近代化の波に飲み込まれ殺されていった女たちの無念さはどれほどのものか。エンディングで声にならない叫びを上げるウマイの悲痛な表情にこの殺人の無意味さのすべてが映し出されていた。
上映時間:1時間59分。日本での公開未定。

"When We Leave" 英語公式サイト:http://www.whenweleave.com/