4月上旬に書いた記事です。
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東日本大震災から一ヶ月、遠く離れた場所にいて何を一番考えたかというと原子力についてだった。地震の翌日に知人から「福島の原発が危ないから東京を出る」というメールをもらってから、ずっと考えてきたことだ。東京は住めないほど汚染が広がっていく可能性があるのか。シーベルトだとかベクレルだとか聞き慣れない数値を出して、健康被害の心配はない、いやチェルノブイリと同じぐらい悪いという報道を読んで翻弄された。
考えてみると日本の原子力政策や放射能について自分は何も知らなかった。そんな頃、大江健三郎がフランスの新聞に寄せた言葉で惨事のショックで朦朧とした頭に小さな明かりが灯った。
「核の炎を経験した日本人は、核エネルギーを産業効率の観点で考えるべきではない。つまり成長の手段として追求すべきではないのだ。(中略)原発がいかに無分別なものかを証明した今回の過ちを繰り返すことは、広島の犠牲者の記憶に対する最悪の裏切りだ」
戦後、私たちはどんな風に原子力を受け入れてきたのだろう。遅まきながら詰め込み学習をして自分なりの核の戦後史をまとめてみた。
1945年 米国軍により広島、長崎に原子爆弾投下。被曝による死者420,000人。
1951年 米国の世界初の原子力発電に成功。
1952年 手塚治の『鉄腕アトム』のマンガ連載始まる。
1954年 日本の漁船「第五福竜丸」が米国の水爆実験によって被曝。国内に大きな反核運動が起きる。
1955年 政府は「第五福竜丸」事件の米国への責任を不問にし賠償金を受け取る。米国より原子力平和利用使節団来日、原子力平和利用博覧会開催。
1958年 世界各地で核実験、その数91回。
1962年 核実験最多の年、その数118回。
1963年 アニメ『鉄腕アトム』の放映始まる。
1966年 東海発電所において日本で最初の原子力発電を開始。
1969年 原子力船むつの進水、マンガ『ドラえもん』(原子力ロボット)連載始まる。
1974年 原子力船むつの放射能漏れ発覚、むつ市が帰港拒否。
1978年 福島第一原子力発電所営業開始。
1979年 原子力発電所メルトダウンを描いた米国の映画『チャイナ・シンドローム』が公開。その12日後、米国のスリーマイル島原子力発電所炉心溶融事故。
1983年 プルトニウム工場で働く女性の謎の死を描いた実話の映画化『シルクウッド』が公開。
1986年 チェルノブイリ原子力発電所で爆発事故。反原発の世論高まる。
1996年 国連総会で包括的核実験禁止条約が採択される。
1999年 茨城県のJCOにおいて臨界事故。
2000年代 地球温暖化エコロジーの観点から二酸化炭素を出さない原子力発電への肯定的な世論が生まれる。
私が生まれた52年にすでに小型原子炉をもったロボット、鉄腕アトム(大ファンだった!)がマンガになっている。原爆投下からたった7年で原子力は未来の力強いエネルギーというイメージはあったのだ。そして、54年の第五福竜丸被曝事件。戦後から始まった世界各国の核実験で初めて被曝したのも日本人だった。ところが55年には読売新聞と日本テレビの社主で元翼賛会総務の正力松太郎が主導した原子力平和利用使節団が来日して、「原子力は資源の少ない日本にとっては期待のエネルギー」というプロパガンダが彼のメディアを通じて展開され、それが66年の東海発電所開所に繋がっていく。
原子力の平和利用論は冷戦下の核兵器競争を隠蔽する隠れ蓑に過ぎず、核実験はどんどん続いて1962年はなんと118回。そこで、以下の「降下物中のセシウム-137降下量の経年変化」のグラフを見て欲しい。

63年にはチェルノブイリ事故後と同じだけ1000メガベクレル/毎月のセシウムが降下している。当時私は11歳、そういえばあの頃雨の日は外に出るなと言われたもので、以後は下降傾向だが82年頃まで30メガベクレルが続いている。なんのことはない私たち戦後生まれは放射性物質を浴びながら育ってきたのである。だから放射能は安全であると言いたい訳ではない。私たち世代は戦後ずっと「核を成長の手段」として使い、放射能の危険と共に生きてきた「原子力の子」だったのだ。
高度経済成長を旗印に電化製品に囲まれた便利で明るい社会作りを押し進め、地震国に原発を作るなんて自殺行為という反論を「安全神話」でねじ伏せ、現在日本には55基の原発が稼働中だ。ちなみに総面積が日本より大きく地震の多いカリフォルニア州には4基しか稼働していない。この事態は起きるべきして起きたのだ。
前出の知人のように真っ先に安全地帯に逃げたり、東電が悪い、政府が信用出来ないという意見も分からぬではない。しかし、放射能が目に見えない、どこへ飛んでいくか測定しにくい相手である以上、誰もが放射能汚染をある程度受ける覚悟をしなければならないだろう。そして、そんな事態を招いた責任の一端は、原子力による電気を使ってきた私たちにもあるという自覚を持つ必要があるのではないか。そうでなければ、今もなお最も危険な作業をしている東電の下請け孫請け作業員や広島長崎で被曝し亡くなった人たちに申し訳が立たず、無自覚に同じ過ちを繰り返すことになりかねない。