『アトミックマム』(原題"Atomic Mom")


映画『アトミックマム』のポスター。写真クレジット:Smartgirl Productions
アメリカのドキュメンタリー映画を観ていると、名前や肩書きを出して、内部告発をする人たちがしばしば出てくる。すでに関連した企業や組織を離れている人もいるが、まだ在籍中で堂々発言という人だって少なくない。たとえば、ブッシュがイラク侵攻を決めるきっかけとなった大量破壊兵器の存在の有無について、現役のCIA職員数人が「その事実はなかった」とブッシュ政権下で発言していた。事実を弁明したいという意味もあったと思うが、それ以上に自分たちの調査報告をねじ曲げた政権に対する不信感や怒りが感じられる。
自分たちの調査結果を政権がどう使おうと自分には関係ない、という態度ではなく、自分の仕事に誇りを持つからこそ悪用が許せない、という実にまっとうな態度だ。こういう人たちを見ていると、アメリカ人の気風にちょっと感心する。忠誠を誓うのは神の教えとか己の良心に対してであって、企業や組織ではない、そんな気風とでも言うのだろうか。

たとえば、東電。今回の福島の原発事故に際して、職員の中で知っていることを公表したいと思った人もいるのではないだろうか。もちろん、クビを覚悟でしか言えないし、家族や住宅ローンを考えると口を開けない、そんな人も案外たくさんいるような気がする。しかし、多くの人の命が関わる情報を持ちながら、それを秘密にしなければならないという状態は、彼/彼女らの良心を蝕んで、生涯に大きな影を落とすのではないのだろうか。この映画を観て、そんなことを考えた。

映画『アトミックマム』は、監督であるM.T.シルビアさん(以下敬称略)と彼女の母親で1950年初頭に海軍で放射能の熱傷研究をしていた経歴を持つポウリーンとの関係から始まるパーソナルなドキュメンタリー映画だ。

長年の沈黙を経て、90年代になって当時を語り始めたポウリーンを、衝撃を持って受け止めたM.T.。彼女の静かなナレーションによって導かれる母と娘の物語は、個の体験を越えて、米国の原子爆弾開発の歴史とそれに沸いた当時の世相、さらには被曝した広島の女性の証言へと展開し、観る者を作品に引き込んでいく。M.T.が運良く地元の人だったので、彼女と会って製作の背景などについて話を聞いてみた。

約束のカフェに現れたM.T.は映画の中に登場する彼女そのもので、柔らかな語り口が温かな人柄を感じさせる人。70年代から反戦反核運動に関わり、今でもネバダの核実験サイトで行われる抗議行動に参加している。そんな彼女にとって母の海軍での体験は子供の頃から大きな関心事だったが、母は軍と交わした機密厳守契約のために堅く口を閉ざしていた。
「とても責任感が強い人だったから50年近く家族はむろんのこと誰にもその話をしたことがなかった」というM.T.。しかし、ポウリーンが飼っていた猫を病院に連れて行った時、猫が診療台でツメを立てる音が、犬を使った熱傷実験の体験を思い出させ、彼女の良心を激しく揺さぶった。

1952年、科学の道に進みたかった若いポウリーンだったが、女性科学者の就職口は無いに等しく、海軍医療研究チームの一員となって、サンフランシスコの放射線防衛研究所に所属した。その後彼女は、53年にネバダで行われた核実験にも数少ない女性科学者として赴き、特殊眼鏡も支給されず、ガムテープで服と皮膚を保護するだけの簡単な装備で、数回に渡ってキノコ雲を見ることになる。

映画は歩兵たちが何の防備もせずに爆心地近くにいる様子など、ニュース映像を使って見せて行く。「あの頃はすべてが秘密だった。実験で被曝した兵士もたくさんいたと思うが、被曝の追跡調査はされていないはずだ」と語るポウリーン。実験場の入り口に大きく掲げられた「諸君の身の安全は諸君の沈黙に掛かっている」という脅かし文句が実験の物々しさと秘密主義を伝える。

広島や長崎に原爆が投下された頃まだティーンだったポウリーンは、戦後は戦勝国のウキウキとした世相の中で育ち、自国への疑問を持つことは無かった。海軍で放射線による熱傷研究をしている時も、若い科学者としてただ仕事に打ち込んでいただけだった、と当時を振り返る。

日本を含む世界中で、原子力が未来のエネルギーであるというプロパガンダが広がり、米国はロシアとの核兵器競争に血眼になっていた時代である。しかし、動物が死ぬまでを克明に観察し続けねばならなった体験が、ポウリーンの心に影を落とした。軍の過剰な秘密主義も彼女の心に重かったに違いない。

彼女の告白を通して、これまで秘密とされてきた核実験地からはるか東のユタ州で起きた家畜の大量死や、太平洋ロンゲラップ環礁の水爆実験の被曝の大きさなどが、当時のニュースフィルムを重ねながら明かされていく。

母が少しづつ語り始めた90年代中頃からカメラで記録していたM.T.は、映画を作るなどということは考えてもいなかった。あらかじめ書かれた脚本はあったのですか、という質問に、「全然無かったわ。何年もかけて母親の話を撮ってきたけど、どうなるか分からなかった。だから、どこかで終わりにしなくてはと思って、映画にすることにしたの」というM.T.。「でも、まさか自分の語りを入れるなんて思っていなかったのよ。撮影スタッフが絶対入れた方が良いというので無理やり喋ることになって…」という経緯も話してくれた。

後半は、M.T.が出張で日本に行った際に広島を訪ね、そこで出会った被爆者岡田恵美子さんと娘さんとの会話という、さらに大きな視野の中へ向かっていく。
「娘に対して被爆時のことを振り返って語ることが出来なかった」という岡田さんの話が、ポウリーンの長い沈黙と重なる。原爆の威力、それが引き起こす悲劇の大きさと人の心に与える傷。被曝した人も、被曝の研究をした人も共に抱え込む沈黙に、原子力という怪物科学の真の恐ろしさが感じられた。

人は誰でも秘密を持っている。だが、企業や組織の大義のために守らねばならぬ秘密を持たさせるのは、まったく別の話だ。ポウリーンの流す涙を見ながら、良心に反する秘密を持たされた苦しみ、沈黙を強いる強権への憤りを感じた。本作は、原子爆弾によって人生に大きな影を負った二組の母と娘の物語を切り口としているが、福島原発事故を体験した今を生きる私たちの物語でもあるのだ。

『アトミックマム』は広島平和映画祭で11月29日、12月5日の両日、日本でのプレミア上映が予定されている。
『アトミックマム』日本語公式サイト:http://www.atomicmom.org/jp/trailer.htm