"Once Upon a Time in Anatolia"


写真クレジット:Cinema Guild
この映画を観て以来、本作の「すごさ」についてなんとか言葉にしたいと思って来たが、感動とか衝撃という言葉では言い表せない「すごさ」を受け取ってしまうと、いつも何も書けなくなってしまう。
「大好き!」「なんか面白い」という感想を持った映画について書くのは結構スムーズなのに、こういう作品になると受け取ったものの大きさを正確に表現できないのではないか、と不安になって硬直してしまうのだ。何を不安がっているのか。

私を不安がらせる映画はほかにもあって『マトリックス』や『勝手にしやがれ』、『悲情城市』なども緊張してなかなか書けなかった。観てから何年も経って書いてこのブログにアップしてあるのだが、受け取ったもののほんの一部しか言葉に出来ていないという思いが残っている。困ったものだ。

さて、本作は去年のカンヌで審査員特別賞を獲得したトルコのヌーリ・ビルゲ・ジェイラン監督の最新作だ。彼の作品は他に3作 "Three Monkey"、 "Distance"(邦題『冬の街』)、"Climate"(邦題『うつろいの季節』) と観ているが、これが断然一番である。

彼の作品を初めて見たのは数年前で、カンヌでグランプリを受賞した『冬の街』だったと思うが、それほど感心した記憶がない。ただ映画の語り口が独特で、こういう映画は観たことがないな、トルコ映画というのは、ハリウッドやフランス映画にあまり影響を受けずに発展してきたのではないだろうか、と思ったものだ。

その時はそれだけだったが、今回ジェイラン監督のインタビューを見つけて分かったのは、どうやら彼は映画をあまり観ない人のようで、文学とりわけチェーホフの作品に影響を受けていると語っていた。

フーン、チェーホフかあ。ロシア文学はぜんぜん読まないので分からないが、ジェイラン監督の作る映画がどこか文学的であることは確かだ。以前に紹介した『エレン』のロシアの監督の作品とどこか似て、ドラマより登場人物の内面を映像として描こうとする独特な映画術が共通している。

本題に戻ろう。本作の舞台は現代のトルコ、アナトリア地方。真っ暗な草原地帯を行く警察の遺体捜索の様子が描かれていくが、もちろん犯人探しや事件の動機などを探るクライム・サスペンスではない。

犯人はすでに捕まっており、彼が案内して遺体を収容しようと3台の警察の車が、夜をついて広大な草原をヘッドライトの灯りだけを頼りに移動を続けている。犯人はわざとなのかどうか、男を埋めた場所をコロコロ変えて警察側を苛立たせている。長い夜に皆ウンザリとしているのだが、物語はまだ始まったばかりなのだ。

写真クレジット:Cinema Guild
この犯人の顔がすこぶるつきに良い。骨張った暗い顔に、怖れとさもしさを漲らせた視線をギロギロとさせ、この物語が持つ掴みどころのない人の闇の深さを感じさせる。こういう表情を作れる俳優はあまり見たことがなく、私はまずこの男の顔に魅了され、一気にこの映画世界に吸い込まれた。

映像の美しさ、素晴らしさも言葉にし難い。綺麗な夜景を撮ったという意味ではないのだ。夜の草原を行く3台の車のヘッドライトに映し出された闇と光のコントラストの絶妙、暗闇の中で小さく灯る車の光が映し出す茫洋とした草原の広がり、微かな灯りを受けた男達のクセのあるプロフィール、すべてが夢のような不思議な光を放っている。

監督はこの映像を作り出すために、かなりの工夫と苦労をしたらしい。夜間撮影の技術的問題の解決という難題もあっただろうが、苦心したのは闇の草原の空気感を映し出すこと、登場人物一人一人に個別な照明を当てることで、彼らの人間像を造形しようとしたこと、などにあったようだ。話のスジやドラマ展開にかまけることなく、彼はそれをじっくり実現したと思う。

写真クレジット:Cinema Guild
多様な「光」を捉えた見事な映像を通して、私たちは一コマ一コマを凝視する監督の視線と波打つ呼吸を感じる。映像が作り手個人と一体になった生きた映画、呼吸する映画。こういう映画は5年に一作見られるかどうか。膨大な数の映画を観て、それとほぼ同じ位の数で失望を体験してきたが、久々の僥倖だった。

さて、物語に戻るとそれぞれの車には犯人の他に、主任刑事と検死官の医師、検事が乗り込んでいる。退屈しのぎに、中年ドライバーがお気楽な調子で喋り、それをやや煩気に聞いているのが「役人」たちである。だが、しばらくすると彼ら同士も硬い口を開いて、医師に相談ごとをしたりして、緊張が緩んでくる。

ここでようやく、それまでほとんど口を聞いていなかった医師が、どうやら本作の案内役であることが分かっていく。彼は、田舎警察の刑事の人間臭さや、殺された男の幽霊を見たという話をするドライバーらが生きる世界とは別の世界からやってきた男、つまりは都会出身者であり、何事も「科学的」「論理的」に考える存在として、この退屈で長い夜の道行きに異風な空気を持ち込んでいる。

いや、もう一人彼の同類がいた。やはり都会からやってきた検事だ。彼はこの捜査の責任者であり、孤高の存在である。彼がちょっとだけ気を許せるのは、医師。そして、同類の臭いを感じた検事は医師にある話をする。

「自分の扱った事件で、自分はこの日に死ぬと夫に言い、その予告通りの日に死んだ女がいる。世の中にはまったく不思議なことがあるものだと思わんかね」と語る検事。すると医師は「自殺の可能性は無かったのか?」と聞き、検事は「いや、まったくの自然死、心臓マヒだった。」と返答する。

私も「そういう女がいても不思議はないな」と納得していると、医師は「ちゃんと解剖をしたんですか? 心臓マヒを起せるクスリがある。女はそれを手に入れたのではないか」と指摘をする。軽い話のつもりだった検事は驚いて、会話を終わらせる。この奇妙なエピソードが本作の後半になって再登場して、この暗い表情をした検事の人生を覗かせてくれることになるのだ。<続く>

写真クレジット:Cinema Guild

"Once Upon a Time in Anatolia"の英語公式サイト:http://www.cinemaguild.com/anatolia/