『Anna Karenina』(邦題『アンナ・カレーニナ』)


アンナ・カレーニナ』写真クレジット:Focus Features
レフ・トルストイ原作『アンナ・カレーニナ』は何度も映画化されているので、一作位は観たことがある人もいるだろう。1927年グレタ・ガルボ主演のサイレント映画や、その後ヴィヴィアン・リーソフィー・マルソーなどがアンナを演じているのが有名だ。
私はティーンの頃に67年製作のソ連作品を観ており、トルストイの最高作と言われるだけあって、ずしりと重厚な映画だった記憶がある。ところが本作を観て「なんだ不倫の話だったのか」と妙な感心の仕方をしてまった。華麗なる不倫劇?『アンナ・カレーニナ』はこんな話だったのだろうか。
物語をざっと紹介すると、時は1870年代。幼い息子を持つ美貌のアンナ(キーラ・ナイトレイ)は、政府高官カレーニンジュード・ロウ)の妻として何不自由のない暮らしをしていた。ところが、モスクワの兄を訪ねた際に、若い将校ヴロンスキー(アーロン・テイラー=ジョンソン)と出会って劇的な恋に落ち、夫と子供とも離れててこの恋を貫こうとする。
確かに不倫の物語ではあるのだが、ソ連作品には単なる不倫ものと思わせない時代的な重さを背負ったアンナ像があったように思う。離婚を認めない敬虔で頑迷な夫との争い、息子に会えない辛さ、貴族の社交界から閉め出される苦しみを味わうアンナ像は本作でも描かれているのに、なぜかナイトレイに時代の重さを背負った女の立体感が感じられないのだ。それはアンナの最後の選択をどう捉えるか、という重要な部分にも影響している。
アンナは単にヴロンスキーの心変わりに絶望したのか。いやそれだけでは無かったはずだが、本作のエンディングには謎も余韻も感じられなかった。
ナイトレイは美貌と人気という点でアンナの役を得たと思うが、彼女には荷の重過ぎる役で、恋人役のテイラー=ジョンソンのいかにもなハンサムぶりもほとんど滑稽に見えた。物語をひっぱっていく恋人同士の姿に共感出来ないのは致命的で、原作の愛読者にはお薦めできないだろう。
とは言え映画としての見どころがないわけではない。ジョー・ライト監督(『つぐない』)による舞台劇形式で物語が絢爛豪華に展開していく演出は面白かったし、アンナの恋と並行して語られる純朴な青年リョーヴィンの恋をじっくり描いていたのも良かった。アンナのような激しい恋ではなく、長い時間をかけて温めていく暖炉のような愛を得た青年の姿に、トルストイのロシアという国への希望と愛が感じられた。また、脇役を固めた英国の若手実力派俳優の演技も光っており、この中からアンナ役を選べは…と思わずにはいられなかった。
上映時間:2時間9分。サンフランシスコはサンダンス・カブキ・シアターなどで上映中。
アンナ・カレーニナ』英語公式サイト:http://focusfeatures.com/anna_karenina/