"Therese"(邦題『テレーズ・デスケルウ』)


"Therese" 写真クレジット:MPI Media Group
フランソワ・モーリアックの小説『テレーズ・デスケルウ』の映画化である。文学作品の映画化は必ず原作と比較され、原作愛読者を失望させることが多い。モーリアックはノーベル賞作家でもあり、原作が文学的であればあるほど映像化は難しいもので、監督クロード・ミレール(『小さな泥棒』)にとっては手強い作品だったに違いない。
舞台は1920年代のフランス、裕福な地主の娘テレーズ(オドレイ・トトゥ)は、親友の兄である地主の息子ベルナール(ジル・ルルーシュ)と愛のない結婚をする。大きな資産でもある愛する松林を守るという思いから出た納得ずくの結婚であり、不満は無かった。

だが、退屈な生活の中でテレーズのベルナールへの思いは次第に変色していく。がさつな作法や野蛮に思える狩猟の趣味を持つ夫への嫌悪が生まれ、子どもが生まれても育児に関心を持つことが出来ない。近所に住む若いの男との恋をへて、彼女はついに恐るべき行動に出てしまう。

本作をあらすじだけで辿ると裕福な妻が夫に飽きて情事に……ということになるのだろうが、モーリアックが描こうとしたのはそんなことではない。テレーズの内面で起きたこと、菌のように広がっていった夫への嫌悪と悪意というものではないか。当然本作が描こうとしたのも同様であったと思う。

繊細なテレーズと対比するように無神経な男として描かれたベルナールだが、悪い男ではない。浮気をするでもなく、地主や当主として振る舞う当時のごく普通の男として描かれている点が、テレーズの不満と不機嫌の不可解さを際ださせている。
確かに圧倒的な父権的環境であり、テレーズの不満をフェミニズムの視点で解読することもできるが、その解釈だけでははみ出してしまう、人の内奥に巣食う何かを描こうとしたのではないか。原作を未読なので本作を観た限りで言えば、見応えのある映画作品ではあったが、その何かが描き切れていたとは思えなかった。精緻な文体で知られたモーリアックの原作を遠藤周作が日本語に訳しているので、機会があったら読んでみたいと思った。

トトゥは難役をよく演じていたが、同年代である親友の女性より10歳くらい年上のように見えたのが気になった。ささいなことだが、こういうことが作品にキズを与えてしまうこともある。本作はミレール監督の遺作でもあるので、残念な思いだ。

彼はブレッソンゴダールの作品で助監督、トリュフォー作品には製作主任として関わった、ヌーベルバーグの洗礼を受けた人で、享年70歳。1920年代生まれの多いヌーベルバーグの映画人たちの中では若い世代であり、フランス映画ファンとして寂しさもひとしおである。

上映時間:1時間50分。
"Therese" 英語公式サイト:http://www.mpimedia.com/pressroom/Therese.asp