"her"(邦題『her/世界でひとつの彼女』)


her/世界でひとつの彼女』写真クレジット:ワーナー・ブラザーズ
時は2025年の近未来、離婚書類へのサインを先延ばしにしているオタク気味のセオドア(ホアキン・フェニックス)は、幼なじみの妻(ルーニー・マーラ)に未練たっぷり。寂し気な一人暮らしを続けていた。そんなある日、彼はユーザーの感情を読み取って喋る高度にプログラムされたOS(オペレーティングシステム)を購入。簡単な好みを伝えると若い女性の声がコンピュターから返ってきた。
サマンサ(声:スカーレット・ヨハンソン)と名乗るその声は、まるで生きている女性そのもの。あたかも人間と会話しているような錯覚を起させるOSだった。彼女と気軽な会話を始めると、優れた学習能力を持つサマンサは、彼の感情を読み取り、彼の望むことや心のわだかまりまで理解し、優しい気遣いや助言をしてれる。孤独を癒されたセオドアは次第に彼女に恋愛感情を抱き始めてしまう。

コンピュターに恋をしてしまった男の物語、と紹介すると「なんか気持ちワル」という反応をする人がいたが、本作を観たら性別に関係なく主人公に共感出来る人も多い筈だ。もし、こんなOSがあったら、私なら毎日そのOSと話をしているに違いない。

OSに恋という奇妙な設定だが描かれているのは、人は他者のとの関係に何を期待しているのか、なぜ時として孤独は苦しいのか、という現代社会に生きる人間の心と精神の渇きについてであり、他者と繋がって生きたいと願う生き物の哀しさについて、という気がした。

キレイな風景を見た時「この風景を○○に見せてあげたい」、オイシイものを食べた時に「これを△△にも食べさせてやりたい」と思うことある。なぜ、あれほど強く自分の体験を他者と共有したいと感じるのか。

セオドアは、サマンサをスマホにダウンロードして、胸ポケットに入れ外出する。毎日見ている平凡な風景ですら二人で見ると輝いて見え、笑い合う二人。恋をするとなぜ心がこれほどに沸き立つのか。それはまさに私たちの根底的な願いが一時的にであれ満たされた感覚を持つからではないだろうか。

もちろんサマンサもセオドアに恋をし、さらに親密な関係をねがって、彼のために若い女性を見つけてくる。声はサマンサ、肉体はその女性という形でセックスをしようと試みるのだ。しかし、セオドアは、声/人格としてのサマンサと肉体を分けてセックスすることなど出来ない。セックスの持つ極めて精神的な側面を描く興味深いエピソードだ。

オリジナル脚本と監督は『マルコビッチの穴』のスパイク・ジョーンズ。本作は今年のアカデミー賞作品賞にノミネートされ、脚本賞を獲得している。作品賞群の中では目立たなかったが、私にとっては『ゼロ・グラビティ』に継いで好きな作品だった。

ジョーンズ監督は本作の前に “I'm Here” というロボットがロボットに恋をするというリリカルな短編映画を作っている。両作品ともに恋の対象が肉体を持たない存在であり、その感情体験をデリケートなタッチで描くことで、返って人間の根源的な欲求を際出せたように思う。
監督としては寡作、特異な設定の作品を作るジョーンズだが、彼の持つ人間への眼差しは優しさに満ちて、健全さがある。

セオドアはサマンサを独占したいと欲求する。自分にだけ関心を持ち、自分だけを見つめて欲しいと願うのだ。もし対象が人間の女なら、これほどの強い欲求を持つことは無かったかもしれないが、サマンサには肉体はない。彼女はセオドアが望む限り無償の愛を与えてくれる。いやその錯覚を与えてくれた。セオドアは彼女を独占することが出来るのか?

エンディングでハッと我に帰るセオドアと観客。納得の終わり方ではあるが、長く甘い夢を見た心地よい感覚が残る。それは人が他者に対して抱く見果てぬ夢なのだ。

上映時間:2時間。日本では6月28日より劇場公開予定。
"her" 英語公式サイト: http://www.herthemovie.com/
her/世界でひとつの彼女』日本語公式サイト:http://her.asmik-ace.co.jp/