"Kumu Hina"


写真クレジット:Qwaves,TheFilm Collaborative.
ワイ島に住み始めてマフー(“Māhū”)という言葉を知った。訳するとトランスジェンダーと平たくなってしまうが、ポリネシア文化が外部の影響を受ける前まで、マフーはポリネシアの人々の中で明確な役割を持って存在した。
彼女彼らは男女両性の特性を持った特別な存在として、家族を守り、伝統文化を伝え、癒しの力を持つ者として尊敬されていた。しかし、そんなマフーたちもポリネシアキリスト教の布教が始まって閉め出されてしまう。しかし、マフーたちはハワイ文化の中で消えてしまった訳ではなかった。

本作はハワイ先住民の血をひくマフー、ヒナ・ウォン-カルの姿を映し出したドキュメンタリー映画だ。題名のKumuはハワイ語で師匠/教師という意味ので「ヒナ先生」といことになるだろう。彼女の公私にわたる生活を追って実に興味深く、ハワイ文化の奥深さと懐の大きさを感じさせてれる好作品だった。

ヒナはオワフ島のチャーター・スクール(特別認可公立校)で、中高生にフラを教える先生だ。その他にも女性マフーの生活向上を目指す団体を発足させたり、祖先を埋葬した墓地の乱開発を監視する委員会の議長を担う精力的な地域活動家でもある。本作はヒナの社会活動面も追っていくが、なんといっても面白いのはフラの授業風景だ。

フラについて詳しくないが、古典的なフラは自然や神に捧げる総合的芸術で、大地を踏みしめるステップやチャンティングが太古を呼び起こし、勇猛果敢な戦士の魂を目覚めさせる、といった趣きの力強さが特徴的な舞踏だ。

ヒナは高校生男子に古典フラを教えていたが、今一つ力強さに欠け困っていた。そこで彼女は13歳の少女ホーナニを参加させる。男子の踊りに女子を入れることは前代未聞なのだが、ヒナはホーナニの両性性を開花させる後押しをしようと、この英断に踏み切る。ヒナの長年の教え子であるホーナニにはフラへの愛と自信があり、小さな彼女を中心に男子グループが少しづつ変化していく。

反感を持った男子がいたかもしれないが、ヒナが太く腹に響く声でハワイの伝統やマフーについて語り、詠い、自信に満ちた指導法でグループを次第にまとめていく。見事な指導力だと感嘆してしまった。

マフーであることに一点の疑いすら持っていないように見えるヒナだが、彼女にも私生活の痛みがあった。トンガから呼んだ年若い夫ハエマックセロとの生活が始まったばかりで、ロマンティックな反面、彼のわがままに振り回されるのだ。

本作は夫婦の日常を捉え、パーソナルな領域に踏み込んでヒナという人物に肉薄していく。カメラの前で自分をさらけ出そうしたヒナの勇気を感じると共に、彼女に強い共感と関心をもった二人の監督ジョー・ウィルソンとジェフリー・ウィンターのゲイ・カップルの功績も見逃せない。3人の信頼関係が本作のバックボーンだったのだろう。

マフーはポリネシアだけでなく、ほとんどの文化の中に存在したのではないだろうか、という思いが残った。自分も含めて伝統的な男や女の役割にはまらない生き方をしている人間はいつの時代も存在したと思う。男が生産、女が生殖と家を担う傍らで、文化や医術という生産性や家制度とは無縁の営みに生涯を捧げた人々の中にマフー、第三のジェンダーがいたことは容易に想像がつく。

第三のジェンダーの役割を知っていた古の人々はなんと賢明であったことか。そして、西洋文明の浸食を受けたとはいえ、現在でもマフーの教師を自然に受け入れている多くの親や子供たちがいるハワイの伝統に敬意を感じずにはいられない。
上映時間:1時間17分
"Kumu Hina" 英語公式サイト:http://kumuhina.com/