"Memories of Murder"

クレジット:Palm Pictures

ある時代に、ある国の映画だけが突出した完成度をもって世界に飛出してくる時がある。第二次大戦後のイタリアや日本映画、パリ学生革命前後のフランス映画、ベトナム戦争後のアメリカ映画、天安門事件後の中国映画、革命後のイラン映画などがそれにあたる。これらの映画はお金をかけたり、何年も準備すれば出来るものではなく、時代が生む。戦争や抑圧的社会という時代の重圧を耐え、そこから何かを掴んだ優れた才能が生み出すのだ。最近になって、その特徴が顕著な映画にメキシコと韓国の作品がある。

90年代になって民主化が進み、文化的春を迎えていた韓国。韓流ドラマ、ヨン様ブームの先行で目くらましされていたが、つい最近みた"Memories of Murder"(邦題『殺人の追憶』)で、すっかり韓国映画のとりこになった。ちなみにこの映画は、03年に韓国でトップの興行成績を上げた大ヒット作で、多くの映画賞を受賞している。

監督/脚本は36才のポン・ジュノ。これが長編2作目とは思えない大きな器だ。殺人犯を2人の刑事が捜査する犯罪サスペンスだが、張りつめた緊張の中にアジア的ユーモアを差し入れ、怖いのに笑えるという弛緩緊張を繰り返す演出が絶妙で、これまで観たどんな刑事ものとも違っていた。ソウル近郊の農村で起きた韓国史上初めての連続殺人事件で、1986年から6年の間に10人もの女性被害者を出しつつ、いまだに未解決の事件を下地にしている。
のどかになびく稲穂の映像から転じて、畑の脇にある溝で無惨な遺体が発見されるオープニングの衝撃。殺人事件など未経験の平和な田舎町の刑事パク(ソン・ガンホ)とソウルから派遣された経験豊かな刑事ソ(キム・サンギョン)の2人が捜査を担当する。当然ながら2人は対立。目を見たら犯人が分かると豪語し、拷問をして自白を引き出す強引なパクと、状況証拠を集め犯人像を固めていくソ。それぞれが捜査を進めつつ容疑者を挙げるが、取調中に再び殺人が起きて捜査はフリダシに。雨の晩が危険と分かりながら、民主化運動の鎮圧に警官が出払い、再び女子中学生が殺される。その痛恨の体験をへて、2人は見え隠れする犯人を追う捜査の暗闇に彷徨い込んで行く。




映画の前面で描かれているのは対照的な2人の刑事の犯罪捜査。観客は二転三転する謎解きに追われながら、背後に緻密に描き込まれた80年代後期の韓国社会の実態を目撃する。素朴な農村の人々、反政府運動の大きな高まり、科学捜査ができない旧態依然とした警察と横暴な刑事たち、精神障害者を犯人に仕立て上げる根深い偏見。工業化で変質を始めた農村の様子は、石の採掘場に集まる何百という素性の知れない労務者の群れや、畑で起きた殺人現場の背後にそびえる工場に象徴される。

なぜこの犯罪がこの農村で起きたのか? なぜ警察は犯人を挙げられなかったのか? その問いが、批評的に当時の社会矛盾に向けられている点が優れ、他の犯罪サスペンスと明確に一線を画している。

登場人物の人間像も立体的に豊かに描かれている。後半になって冷静だったソが狂気をはらみ始め、粗暴なパクがソを鎮めるという役割の転換が生じていく展開が面白い。パクを演じたソン・ガンホが圧倒的な上手さ。食欲も性欲も旺盛、偏見に満ちた単純で粗暴な刑事が、この捜査を通じて次第に内向的になっていく微妙な変化を好演している。
最後にパクは、冒頭にあった犯行現場の溝を見に行く。溝を覗くパクの無表情な顔。彼は暗闇に何を見たのか? そして観客は?

嵐のような2時間11分の映画体験をへて観客がたどり着くのは、日常とは無縁の不条理の感覚。
優れた映画監督だけが連れて行ってくれる遠い地点というのは、こういう場所のことだ。