“Offside”


写真クレジット:Sony Picture Classic

これまで観たイラン映画の中では、飛び抜けてエンタテイニングな作品を紹介しよう。アメリカでこの春、日本では現在『オフサイド・ガールズ』というタイトルで劇場公開されているピカピカの新作映画だ。英語版のDVDも出たばかり。


女性がスポーツ観戦することが法律で禁止されているイランで、熱狂的なサッカーファンの女の子たちが男装して、06年のワールドカップの予選を観に行くというコメディ映画だ。

物語の舞台は、テヘランのスタジアム。W杯の出場権を争う日本との最終戦の日だ。街中がこの試合に注目している最中 、一人の少女が男装をしてスタジアムに向かう。ところが、厳重なボディチェックにひるんで、あっという間に捕まり、スタジアム裏に連行される。すると、狭い囲いの中にはすでに数人の男装をした女の子たちがいた。

次から次と連行されてくる少女たちに「よくやった!」などと明るい声をかける先着の女の子たち。中には煙草を吹かす豪快な子もいて、軍服を着て捕まった子は、皆の大喝采を受ける。仲間が増えれば勇気も百倍。「サッカー見せてよ!」の声はさらに大きくなっていく。

その元気の良さにこちらが圧倒される。これらの少女を演じたのはすべて素人で、男装も自分で考えた服を着用し、伸び伸びと役柄を演じて愛らしい。しかも、11万人が集まったという予選当日に撮影されたため、歓声と喧噪は熱波のように画面に広がる。


さて、困ったのは警備の兵士たち。弁の立つ都会の女の子が「どうして日本の女は観戦できるのに、私たちはダメなの?」と疑問をぶつけると、農村青年らしき兵士は答えられずモゴモゴ。 そうこうするうちに、少女の一人がトイレに行かせてくれと懇願し、これが騒動のタネに。

スタジアムには女性トイレがないのだ。一人の兵士が、その子を男子トイレに連れて行くのだが、 女子の身体に触れてはいけないために一苦労。案の定、その子が逃げ出し、トムとジェリーばりの追いかけっこを展開する…。

W杯に向けた熱狂の中でこそ可能な奇跡の日だったのかもしれない。 一日中少女たちのサッカー熱にあてられた兵士が、護送車のラジオで試合の模様を聞かせてやるくだりが微笑ましく、エンディングの興奮は夢のようだ。

イランと言えば、イスラム原理主義で支配された抑圧的な独裁政権国家というイメージがあったが、この映画で初めてその内情に触れた。確かに、女性の自由は大いに奪われ、男ばかりが威張っているようには見える。

しかし、ボディチェックで未知の男性に身体を触れられるのを拒んだ少女の繊細な感覚や、男子トイレで少女に「壁に書いてあることを絶対読むなよ!」とくぎを指す、兵士の妹を思う兄のような気遣いを、西洋的な価値観で「抑圧的」と断じることはできない。

女たちは自由を制限されることで、男の性から守られて来た歴史もあったのではないだろうか。トイレから逃げ出した少女が戻って来て 「あの兵士がかわいそうだったから」と言う気持ちの中には、女がただ一方的に抑え込まれていただけではない側面もうかがえる。

しかし、インターネットで世界が狭くなっている現在、イラン女性にスポーツ観戦はダメ、と強制すること事体無理な時代がやってきている、ということなのだろう。その変わりゆく時代を、サッカー熱という切り口を通してユーモラスに描いたジャファル・パナヒ監督の手腕は確かなものだ。この作品で06年のベルリン国際映画祭銀熊賞も受賞している。

イラン映画は90年代後期に、アッバス・キアロスタミ監督が『桜桃の味』など芸術性の高い作品を世界に送り出し、注目を浴び始めた。パナヒ監督もキアロスタミ監督の助監督をしていた人で、同輩にはイラク国境の難民キャンプで生きる孤児を描いた名作『亀も空を飛ぶ』のバフマン・ゴバディ監督がいる。

同性愛者が石で打ち殺されるイラン。確かに怖い国、いや政権ではある。ブッシュ政権が核開発疑惑のあるイランの爆撃を計画中なんてぶっそうな噂も流れているが、他国の武力で国の歴史や文化を変えることは出来ない。オフサイドに置かれた少女たちの、サッカー熱に託した自由への熱い思いこそ、イランを変えていく原動力なのだ。

上映時間:1時間32分