『山椒大夫』(1954年)


写真クレジット:The Criterion Collection
里帰りするたびに、二人暮らしの両親と一緒に楽しめる娯楽として、「映画会」と称して名画のビデオを一緒に観るようになった。近所のビデオ屋から映画を借りて観るだけの家族の団らんである。
大正生まれの両親が知っている俳優の出ている映画を選んでと思うのだが、ビデオ屋に古い映画はほどんどない。黒沢、小津の作品が数作並んでいるのが関の山。何軒か歩いて見つけたのが田中絹代が出ている『山椒大夫』(英題 "Sansho the Bailiff")だった。

ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞受賞した溝口健二監督後期の最高作の一つ。森鴎外が民話から元に書いた短編小説の映画化である。平安時代を背景に、旅の途中で人買いに誘拐され、奴隷として売られた武家姉弟が生き別れた母を慕い、脱走して再会を果たすまでの物語だ。『安寿と厨子王丸』(61年)というアニメで物語を覚えている方もいるかもしれない。

山椒大夫』と一緒に高倉健主演の『鉄道員(ぽっぽや)』(99年)も借りてみた。戦後、家族を犠牲にして働き続けた男の物語だ。父ならこの方が良いかもしれないと思ったからだ。

ところが予想は大ハズレ。母は体調のせいでどんな映画を観ても途中で寝てしまうが、父が『鉄道員』の途中で「もう寝るぞ」と言って退室。ところが翌晩観た『山椒大夫』は最後まで観て「これは素晴らしい映画だな」と感嘆を込めて言ったのある。確かに、素晴らしいという表現がぴったりする映画だった。

すすき野を行く母と子の寂しく頼りなげな旅の様子に始り、川辺で突然訪れる母子の別れの衝撃、ある決心を胸に池に向かう姉の姿を林から見つめる視線の哀しみなど、母が子を子が母を恋うる思いが抑えた演技と演出によって描き出されていく。

映像もため息をつく美しさ。古く荒れた画像であるにも関わらず、撮影監督宮川一夫による煙るような映像は長谷川等伯墨画を見ているよう。

血肉を分けた親子の絆の強さ、自己犠牲しか自己表現の手段が無かった女たちの運命の哀れさがひしひしと胸に迫る。これほど内容と形式を見事に融合させ、日本的情感を優美な映像で見せた日本映画はないのではないかと思わされた。それに比べると『鉄道員』の方は、物語も演出もあまりに作り過ぎ。泣かせようという下心が丸見えで恥ずかしくなるほどだった。

実は『山椒大夫』で父が退屈するのではと心配していた。溝口の映画は独特のロングショット、一カットを数分間も見せるという長回しが特徴。冗長に感じるのではと危惧したからだ。ところが、2時間以上の上映中トイレも我慢して見続けたのである。

彼は読むものと言えば新聞だけの自称「文化オンチ」。その彼が、なぜ『鉄道員』と『山椒大夫』の違いを捉えることが出来たのか。良いものが誰の目に良いというのは確かだが、嫉妬したくなるほどの感覚の良さに感心した。そして、この感覚は父個人に独特のものではないのかもしれないと感じた。

山椒大夫』が作られた同じ年に木下惠介は『二十四の瞳』、黒澤明は『七人の侍』、衣笠貞之助は『地獄門』を作っている。前年53年に溝口は『雨月物語』、小津安二郎は『東京物語』、55年になると成瀬巳喜男は『浮雲』を発表。この3年間だけで各監督の最高傑作と言われる作品が目白押しである。それは即ち、これらの名作を支える観客がいたということの証しでもある。ちょっとスゴイことだ。
その頃、父は30代の初めか。戦地から戻り、彼の人生はこれからという時。戦前の教育で身につけた慎ましく勤勉な道徳感を持ちつつ、大きな夢を開花させようビビッドに生きていたはずだ。そんな世代に嘘やゴテゴテとした作り話が通用するはずはない。本物しか通用しない時代、そこで磨かれた感覚が父達の世代にあるのではないだろうか。

「映画会」の方は、近所のビデオ屋全滅のために中止状態だが、画面を食い入るように観ていた父の横顔と共に、真面目に生きてた父世代を決して侮ってはいけないと胆に命じる良い体験となった。

上映時間:2時間4分。大映作品。