『悲情城市』


悲情城市』写真クレジット:Artificial Eye

豪華絢爛なスペクタクル、北京オリンピックの開会式を観ていてなぜか台湾の侯孝賢ホウ・シャオシェン)監督のことを思い出してしまった。
開会式を演出したのは映画監督、張芸謀チャン・イーモウ)。『紅夢』や 『英雄』などで知られる監督で、彼を動とすると侯監督は静、日本の映画監督に例えると前者は黒沢、後者は小津。共に中国語圏を代表する名監督だ。

アメリカでは張監督作品が劇場で多く公開されているが、侯監督作品を劇場で観られるチャンスはほとんどない。この『悲情城市』(89年、"A City of Sadness")も、古びたVHSで観ただけ。いつか映画館で観たいという願いは未だに実現していない。ヴェネチア映画祭でグランプリを獲得し、台湾映画の存在を世界に知らしめた侯孝賢監督の出世作だ。

悲情城市』の物語は長く複雑だ。敗戦の1945年、51年間にわたって台湾を植民地化していた日本が去り、その後40年も台湾を戒厳令下に置き続けた1947年の騒乱2・28事件までの激動の時代を背景に、林家という裕福な船問屋の息子たちがたどった運命を描いている。

中心になるのは、地域の顔役的な存在の長男と、日本軍のために通訳として徴用され、精神を病んで帰国した三男と、聴覚障害者で写真館をいとなむ大人しい四男の3人。

物語は、上海のヤクザにそそのかされる三男とそれに怒る長男の起す事件というヤクザ映画のように始まる。しかし物語は次第に、共産党から中国を追われた国民党らの外省人(中国大陸からの移住者)と、彼らを無邪気に受け入れ裏切られ独立運動に身を投じた本省人(台湾人)の青年たちの話に転じていく。

後半の中心になるのは四男文清(トニー・レオン)で、活動家の親友がおり、その妹と結婚して独立運動へと傾斜する。始めは障害のために子供のように扱われていた文清だが、彼が妻や友人たちと交わす筆談場面に漂う誠実な人柄や、静かに食事をする場面に漂う美しい夫婦愛に、この作品の良心的役割が浮かびあがる。

そんな彼をのみ込んでいく時代の嵐。観客はこの一家が静かに崩壊していく様子に立ち会いながら、日本が去り台湾に中華民国が建国される過程で壊された台湾そのものの痛みを体感していく。

自国の歴史をこんな風に語ることができるのか、という驚き。しかも、それをヤクザと反政府運動家という映画的にまったく別のジャンルで描かれてきた男たちの物語として描いてしまったことへの驚き。内容的には『仁義なき戦い』と『東京物語』が一つになったような奇跡的な映画体験だった。

初めて観た時はしばらく言葉が出ないほど感動し、映画の舞台になった台湾の首都台北から2時間近郊にある九份という町まで出かけてしまったほどだった。愚かしいが、たまにこういうことがある。

この映画は、台湾で戒厳令が解除になった87年の2年後に公開され、台湾で大ヒットをした。多くの活動家が処刑された2・28事件を語ることがタブーとされていた台湾で、初めて事件に触れた金字塔的作品でもあり、小さな坂の町九份は今や観光地だ。

侯監督は1947年中国の広東省で生まれ、翌年に家族で台湾ヘ移住した外省人でもある。作品の題材がどんどん変化していく作家性の強い監督で、少年を主人公とする自伝的色彩の濃い初期の名作『童年往時』、『恋恋風塵』を経て『悲情城市』へ至っている。93年には日本による植民地時代を描いた傑作『戯夢人生』もあり、最近は小津監督のオマージュ的作品『珈琲時光』や、去年はフランスで 『赤い風船』へのオマージュ"Flight of the Red Balloon"を作って意気軒昂だ。題材は変わってもゆったりと時間が流れる作風は変らず、どの映画も美しい。

最後に『悲情城市』のDVDレンタルは難しい。見直そうと捜したがどこにも無かった。幻の…とタイトルをつけたのはそのためだ。映画の世界遺産として残したいほどの傑作なのに愕然としてしまった。どこかで上映の機会があればぜひ足を運んで欲しい。

上映時間:2時間37分。