"25th Hour"(2002年、邦題「25時」)


"25th Hour" 写真クレジット:Buena Vista Pictures
スパイク・リー監督の作品から一つだけ選ぶなんてことは無理だ。『ドゥ・ザ・ライト・シング』や『マルコム X』など好きな作品が多すぎる。ただ私にとって、01年の9/11事件後に観た映画の中で最も暗示的だったという意味で "25th Hour" を選ぼう。私はこの映画を通して初めて、あの事件がニューヨークに住む人々にとってどのような体験だったのか、というリアリティに触れることができたと思う。
映画は、のっけからグランドゼロに設置された2本のサーチライトから始まる。犠牲者への鎮魂と再生への決意を象徴する巨大な青い光の柱は、まっすぐにニューヨークの夜空を貫く。バックに流れるのはテレンス・ブランチャードの暗いドラマを予感させるテーマ曲。リー監督はこのオープニングで「自分は事件後のニューヨークを正面から描く」と宣言しているようだ。

主人公モンティ(エドワード・ノートン)は、頭もよくスポーツも得意な優秀な少年だった。母の死後アル中になった父(ブライアン・コックス)の経営するバーを助けてやろうとマリファナを学内で売ったりしているうちに、ドラッグ・ディーラーになってしまった男だ。

知的で細面の風貌からは海千山千のディーラーを想像することはできない。美人のガールフレンド、ナチュレル(ロザリオ・ドーソン)と趣味の良いアパートに住んで一見平穏そうに暮らしてきたのだ。そんな彼を何者かが密告した。彼は捕まり、7年の刑を言い渡される。物語は刑務所入りを24時間後に控えたモンティの一日を追憶を交えながら見せていく。

"25th Hour"写真クレジット:Buena Vista Pictures
モンティには幼なじみの親友が2人いる。ストックブローカーのフランク(バリー・ペッパー)と、ユダヤ人の高校教師のジェイコブ(フィリップ・シーモア・ホフマン)だ。対照的な2人はそれぞれにモンティの刑務所入りを愕然と受け止めている。困惑するだけの人の良いジェイコブと忠告をしなかった後悔から苛立つフランクだ。

モンティは最後の晩さんを父と取りながら彼の心情を聞かされる。台無しになってしまった息子の人生に対する責任感と後悔。一人息子を刑務所に送る悲しみを語る父の言葉が胸に痛いモンティだが、彼はそれを受け入れることはできない。そればかりか、最後の晩に及んでもナチュレルが自分を密告したのではないかという疑いに心を惑わせている。

彼は追い詰められ鏡に映る自分を見つめながら自分の運命を呪い、ニューヨークの街に住むありとあらゆる人種と階層にいる人々を蔑む言葉を吐く。この場面は圧倒的だ。しかし、彼の心に救いはなく、どう足掻いたところで彼は明日の朝刑務所に入るしかないのだ。間違ってしまった人生の選択の取り返しはつかず、後戻りもできない。

上手いなあと唸らされるのは登場人物の設定だ。頭の切れる麻薬の売人、金とセックスを信仰する株屋、教え子の誘惑に翻弄される臆病者のインテリ、アル中の元消防士、豊かな胸が自慢の美女、彼等はニューヨークという街で栄華を求める人々の典型を象徴している。

その幻影に打ち込まれた一撃が9/11事件だったのではないか。それはモンティを囲む人々を襲った衝撃と二重写しになっている。天地をひっくり返すような衝撃を経てすべてが一変。彼らの正体が明らかになる。モンティは退廃と思い上がりを、フランクは巨大な欲望を、ジェイコブは無力な知を、父は英雄の弱さを、そしてナチュレルは美の虚栄を映し出す。

フランクの住む豪華な高層マンションからはグランドゼロが真下に見える。その巨大な傷跡を覗きながらフランクはジェイコブに「今夜でモンティとはおしまいだ」と友情の終わりを予言する。繁栄を誇っていた摩天楼のまん中に空いた大きな穴は、刑務所に送られるモンティの未来だ。最後に、殴られ大けがを負ったモンティの顔の無惨さが、まさに当時の傷ついた街の隠し絵になっているように思えてならなかった。

もし、9/11事件が起きなければ、この映画の背景となるニューヨークは喧噪にあふれた大都会でしかなく、またこの物語もある男の苦い悔恨の物語として観ることができたはず。それだけでも充分に興味深い話として書かれた脚本(原作者のデイヴィッド・ベニオフ)だとも思うが、奇しくも9/11事件を経たことによって、一人の男の苦い悔恨がアメリカの時代の苦悩と二重写しになるという奥行きを持つことが可能になった。

映画の中で02年に刑務所入りしたモンティの刑期は7年。今年は出所の年だ。この期間は9/11事件後に恐怖を煽り続けたブッシュ政権の期間と重なる。私たちもモンティと共に暗い7年の時間を過ごした訳だ。出来過ぎた偶然だが、それとてもリー監督ならでは。アメリカに生きる個人と社会、激動する時代の変化を常に真正面から描き続けてきたリー監督だからこそ引き寄せることの出来た偶然なのだろう。これだから彼の作る映画から目が離せないのだ。
上映時間:2時間15分。
『25時』日本語公式サイト:http://25thhour.jp/