『嵐が丘』(原題 "Wuthering Heights")


嵐が丘』写真クレジット:Oscilloscope Pictures
アンドレア・アーノルド監督の『嵐が丘』の試写を観てきた。なかなか良い映画だった。
まず舞台になるヨークシャーの原野の風景が赤い色を抑えた白黒に近い映像で何度も映し出され、強風と霧の多い土地と閉鎖的な時代のムードをよく伝えていたことや、主人公ヒースクリフを黒人にしたことで、彼が子供時代に味わった辛酸がより明確になっていたことなどが印象に残った。

嵐が丘』はこれまで何度も映画化(日本では吉田喜重監督、松田優作、田中裕子主演で88年に映画化、未見)されているので、その中の何作かは観ているし、原作も読んだような気がするのだが、ぼんやりとした記憶しかない。恋愛ものが好きなジャンルではないこともあるし、映画化されたものの多くがあまり共感できない女主人公キャサリンの視点で描かれていたこともあったと思う。

なぜキャサリンが最愛のヒースクリフを選ばず、同じ土地に住む裕福な一族の息子との結婚を選んだのか。ヒースクリフを捨てておきながら、彼が去った後「ヒースクリフヒースクリフ」と嵐が丘の風に向かって叫んだところで「どういうつもりなのよ」というのが人情ではないか。キャサリンヒースクリフを選べない理由は山ほどあっただろうが、要するにビンボーは嫌だったのでしょう、と思わずにはいられない。

話は逸れるが、知人の日本女性が在日コリアンの男性と婚約していたのだが、結婚寸前になって婚約を破棄した。「祝福されない結婚は不幸になるだけだから」と彼女はテレビドラマみたいな理由を上げていたが、これって言葉はきれいだが本音を誤摩化してる。祝福されない結婚=家族の反対、不幸=家族のサポート無し、要するに彼女は自分の感情ではなく、家族の思惑とサポートを優先させた訳で、そういう結婚って本当の「幸福」に繋がるんだろうか。

婚約破棄された男性には気の毒だが、こういう家族とは縁続きにならない方が良かった。ヒースクリフも彼と同じ立場で、本作では彼が黒人であることでそれはより際立ったと思う。不運な出会いが親子二代にわたる愛憎の復讐劇へと向かうほどの「悪い縁」である。
小説のあらすじは割愛するので、てっとり早く知りたい方は、ウィッキーを参照してはいかがだろう。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B5%90%E3%81%8C%E4%B8%98

本作では一代目ヒースクリフとキャサリンの話だけが若干のディテールの変更を含めて描かれていく。原作はうろ覚えなので確信はないが、小説とこの映画は随分と違った印象だ。原作はヒースクリフの復讐劇が物語の中心にあったと思うが、本作ではヒースクリフが子供時代に抱いたキャサリンへの強い感情と、その思いを押さえ込まねばならない苦しみ、キャサリンの兄ヒンドリーによる虐待的扱いへの激しい怒りなどが、丁寧に描かれている。

多感なティーンの中で荒れ狂う感情を、嵐が丘の風景や動物たちの姿を交互させねらがら見せていく手法が見事で、アーノルド監督の前作"Fish Tank"で暴れていた少女の描写と重なっていく。二作共に若い主人公は、強い思慕を抱いた対象から無惨に裏切られ、心が打ち砕かれる痛みを体験する。若いからこそ身体がきしむ程の衝撃を受ける訳で、アーノルド監督はその鮮烈な体験を卓抜した映像と演出で見せてくれる。このあたりの描写はの彼女の独壇場で、優れた映画作家の独自で確かな手腕を感じさせてくれた。

ヒースクリフがキャサリンに失望して嵐が丘を離れ、成功した男として戻ってくる後半は映画的にはやや失速する。ヒースクリフの帰郷の動機が、ヒンドリーらへの復讐というより、キャサリンを諦め切れない思いを抱えて…という感じになって、焦点がボケたのかもしれない。ただし、この変更が暗くおどろおどろしい『嵐が丘』の印象を、ピュアな恋愛ものに転じさせたことは確かだ。ヒースクリフは復讐心に燃える怪物というより、失意を回復することのできない懊悩を抱えた若き男、という共感を持ちやすい人物になっている。

試写の後、隣にいた批評家の女性は「この映画、地味ね。ナタリー・ポートマンマイケル・ファスベンダー(去年から話題作に多く主演している今超売れっ子のイギリス俳優)が主演をしていたら随分違っていたでしょうけど」と言っていたが、そんなスターが主演したらきっとまったく別の映画になってしまっていただろう。

実際に一番最初の企画ではファスベンダーがヒースクリフを演じる筈だったが、監督が何人も変わって、最終的にアーノルド監督は彼の役を無名の俳優にふったのだ。とは言え、監督は大ブレイクする前のファスベンダーを"Fish Tank"で使っている。

蛇足を続けると、『嵐が丘』の原作者エミリー・ブロンテは、『ジェーン・エア』を書いたシャーロット・ブロンテの妹。『ジェーン・エア』は2010年にマイケル・ファスベンダーミア・ワシコウスカ(彼女も若手人気俳優の一人)の主演で何度目かの映画化をされていて、それなりのヒットをした。しかし、私はこの『嵐が丘』の方がずっと好きだ。無名の俳優たちの演じる作品には、有名俳優を使った映画の持つスターパワーによる眩惑がなく、監督の意思や意図が明確に現れるからだ。

映画を観るのは美しい女優や男優を観るため、という楽しみ方もあって当然で、私もティーンの頃からカトリーヌ・ドヌーブの出る映画は必ず観たものだ。しかし、この頃は、そういう映画ばかりを口開けて観ていると、脳みそのシワが減りそうな気がしてきた。いやもう手遅れ、ツルツルになっているかもしれない。
"Wuthering Heights"のサンフラシスコでの上映開始は19日から。
"Wuthering Heights"(『嵐が丘』)の英語公式サイト:http://www.oscilloscope.net/wutheringheights/

ジェーン・エア』の紹介文:http://d.hatena.ne.jp/doiyumifilm/20110310
"Fish Tank"の紹介文:http://d.hatena.ne.jp/doiyumifilm/20100304