追悼、シュラミス・ファイアーストーン


写真クレジット:NYタイムズ
8月28日、『性の弁証法』を書いたシュラミス・ファイアーストーンが亡くなった。67才だった。彼女は『性の政治学』を書いたケイト・ミレットと並んでラディカル・フェミニズムの思想を打ち立てた人で、70年代当時、私を含めた多くの女達と女解放運動に大きな影響を与えた。
日本では知る人が少ないのか、この記事を書いている9月2日現在、日本のメディアではどこも報道していない。だが当地ではNYタイムズを初めとしたメジャー・メディアなどが軒並み彼女の死を報道し、彼女の生い立ちとラディカル・フェミニストとして果たした役割と業績を伝え、彼女が米国社会に大きな影響を与えたことを伺わせている。

今回始めて知ったことだったが、彼女の思想家としての活動は70年代の初期に終わっていたようだ。80年代になって発症した精神分裂病のために入退院を繰り返し、今で言う引きこもり状態のまま30年近く住んだNYのアパートで孤独死。本が山と積まれた部屋で死後一週間して遺骸が発見されている。

こんなニュースを平然と読めるはずもなく、少なからずショックを受けた。亡くなり方もあるが、彼女が精神病患者として人生の半分以上も生きねばならなかったことに胸が痛んだ。実はミレットも躁鬱病と診断され、自分の意思に反して精神科に入院させられ、長い裁判闘争に勝って強制入院からの自由を勝ち取っている。急進的なフェミニスト理論を打ち立てた二人が共に「精神病」に苦しまねばならなかったことを思うと、単なる偶然なのかと疑念が生じる。

二人は共にアーティストだったという共通項がある。ファイアーストーンはシカゴの美大出身でよく絵を描いていたようだし、ミレットは彫刻家でもあり、NYの大きなロフトにスタジオを構えて女性アーティストを支援した。創造性を司る右脳と論理的思考を司る左脳のバランスのとれた天才的な二人だったと思うのだが、その優れた能力を持った彼女たちが「精神病」に追い込まれた経緯は何だったのだろう。とりわけファイアーストーンは、当時ではかなり突飛だと思われる女解放論を説いたために激しい批判や揶揄の対象となり、孤立感を深めたのではないだろうか。

私は『性の弁証法』の愛読者で、75年に刊行された林弘子訳の日本語版を手に入れて以来何度も読み返し、米国に移住の際にも持参したほどだった。熱中の理由は、彼女が現状下で女が自由になるためには何が必要なのかを徹底して考え、フェミニスト革命を起こして社会を変革するという強い意志をもっていると思えたからだ。

『性の政治学』の方は、性の政治というミレットの視点を論理的に証明する学術論文のような感じがよそよそしく、ファイアーストーンの「女から生殖の重荷を取り去らない限り男性優位の社会構造は無くならない」「父権制社会では男は女を愛することは出来ない」などのラディカルな考察と既成概念を打ち破る自由な発想は魅力的だった。荒唐無稽とも思える未来図に疑問を持ちつつも、父権制社会に大きな蹴りを入れる起爆力があり、新しい時代の到来を感じさせてくれたものだ。

何年も読み返していなかったのだが、今回彼女の死を機会にメディアの弔文などを通して彼女の思想に英語でもう一度触れてみると、彼女がまさに新しい時代を予見していたことが分かる。

彼女は、「両性のために一方の性だけが種の再生産を行なうといった状況は、人工生殖(少なくともその選択の余地)によって置き換えられるだろう」と言い、女による完全な生殖コントロールの必然を説いた。それがどんな社会なのか、40年前には見当もつかなかったが、その人工生殖が今まさに現実化しつつある。

最近知り合いの人が卵子を冷凍したと言っていたが、今や「卵子冷凍」はかなり一般化しているようだ。これも「体外受精」に続く「人工生殖」の一つの方法ではないだろうか。キャリアを重ねたい若い時に元気の良い卵子を冷凍しておき、30代40代になってから妊娠/出産という女性は増えているように思う。

40代になってからの妊娠/出産が難しければ、代理母を雇って産んでもらう。こうなればファイアーストーンの言う「一方の性だけが種の再生産」を行わなくて済む訳だ。もちろん代理母の問題は残るが、これだけテクノロジーが発達すれば人工子宮も開発されるに違いない。

また日本では、女にとって子供を産むことよりも魅力的な選択肢が増えた結果、少子化が問題視されている。子供のいない私も少子化推進の一翼を担っている訳だが、やはり多くの女にとって生殖(育児も)は今だに重荷であることに変わりはない。

問題はこれらの変化がフェミニスト革命によって生じたのではなく、しぶとく存在する父権制の社会構造と資本主義経済を支える目先の変化でしかないということだ。私たちはある程度の自由を得たが、やはり父権制社会に取り込まれたままだ。

病む前の聡明なファイアーストーンなら今の時代をどう読み解くのだろう。きっと私の想像もつかない発言をしてくれたに違いない。刺激的な言葉の数々で、自由の意味を問い、未来を考えることを私に教えてくれたファイアーストーンに、心から追悼の意を表したい。