"A Man Escaped"(1957年)


写真クレジット:New Yorker Video

志賀直哉の短編に『剃刀』というのがある。剃刀使いの名人と言われた床屋が出てくる。体調が悪く、熱があるのに剃刀研ぎを頼まれたが、なかなか思うように研げない。そのイライラとした癇の強い男の様子を、一言の無駄もない簡潔な文体ですーっと書き切った見事な一編だ。

文庫で11ページの完璧な小説世界。この映画を観終わって、ふと『剃刀』を思い出した。たぶん、鋭利な簡潔さがよく似ていたからだと思う。たった一秒の粉飾も嘘も無駄もない、完璧な映画世界が広がる。

邦題は『抵抗ー死刑囚の手記よりー』。ドイツ占領下でレジスタンスとして逮捕され、死刑を宣告されたフランスのアンリ・ドヴィ大佐の手記を下地にしている。物語は至極シンプルで、投獄された主人公が不屈の意思で脱獄の準備をする姿を、淡々と冷徹に追い続けていく。

しかも主人公は、ナチへの怒りも、囚われの身の悲しみも、死刑への怖れも何も表現しない。感情描写やドラマチックな展開をあえて避けていることが特徴的な映画だ。

監督は映画の神と崇められているロベール・ブレッソン。1901年生まれで、生誕100年を越える前世紀の巨人だ。後輩にあたるゴダールなどヌーヴェル・ヴァーグの監督や作家デュラスらが、ブレッソンの映画について宝物のように語る様子がDVDのオマケ映像で見られ、ぐっと目頭が熱くなる。

自分の「映画熱」が本格的になっていた頃を思い出すからだ。この映画を初めて観たのもその頃。NHKテレビの名画座か何かではなかったかと思う。

途中から観始め、主人公がスプーンの柄を削る、独房の扉をその柄で削る、シャツを破いて縄をなうなどの「作業シーン」の連続に面食らった。ところが、主人公が機械的に作業を続ける姿に静かな緊迫感と独特なリズム感があり、どうしてもこの男の脱獄を見届けたくなるのだ。主人公の意思的な大きな瞳にも惹かれた。

観終わって、こんな映画は一度も観たことがない、とかなり興奮したのをはっきりと覚えている。今回DVDで見直した時も同じ感想。あれから何十年もたって何千という映画を観たと思うが、やはりこんな映画は観たことがない。映画という視覚媒体を通して、目に見えないものに触れたからだと思う。


主人公を演じたフランソワ・ルテリエとブレッソン(左)

ブレッソンは、俳優は「演じる」ので好まず、いつも素人を使った。彼が描こうと試みたのは、行為に宿る人間の精神性、実相だ。だからこそ、感情表現のプロである俳優を使うことで、行為や表情から純粋さが失われ、汚れることを怖れたのだろう。

観客は無表情な主人公の脱獄準備につきあいながら、彼の行為を支える信念と意思の強さという優れた人間性を体験する。それは、演技派の俳優を使い、美しい名曲の調べにのせて、恋の悲しみを体験させてくれるタイプの映画とはまったく別物。喜びや怒りなど肉体に宿る感情を体験する甘美な歓びを禁じて、ひたすら人間の自律する精神のあり方を描こうとする特異な映画なのだ。

「映画は見せ物ではなくて、それは文体である」と書き残しているブレッソン。その言葉とおり、彼の映画は一コマ一コマを厳選し、動く画面として連ねていく明確なスタイルがあり、あたかも詩や散文を読んでいるようだ。『剃刀』を思い出したのも不思議ではない。切れ味のよい剃刀で感情のベタつきをバサリと切り捨てるスタイルも、志賀直哉と共通している。

傑作揃いのブレッソンの作品の中ではこの作品と『スリ』("Pickpoket")が見やすい。個人的には『バルタザールどこへ行く』("Au hasard Balthazar ") が最高作だが、観ているうちに寝てしまう人が多そうなので、推薦は避ける。ロバに宿る神聖なるもの、仏性そのものを描き、映画は芸術である、神に近づく道であるということを、誰もが信じて映画を作っていた時代を象徴する奇跡的作品だと思う。

上映時間:1時間40分。

付記:『抵抗』を含む上記作品の日本語字幕付きDVDの入手はかなり難しい。英語字幕版での鑑賞をお薦めしたい。