"I Am Love"(原題『アイ・アム・ラブ』)


"アイ・アム・ラブ/I Am Love" 写真クレジット:Magnolia Pictures
ゴージャスな舞台設定とイタリアの陽光煌めく色彩豊かな映像、ドラマチックな音楽など、ヴィスコンティやアントニオーニの映画を彷彿とさせる豪奢なイタリア映画だ。
ある女の愛とその愛が引き起こした一族の崩壊を前景として描き、遠景に父権が支配する一族の冷酷さを描き込んだ見応えのある作品。『フィクサー』でアカデミー賞を受賞したティルダ・スウィントンが全身全霊を傾けて女主人公を演じている。

舞台は2000年のミラノ。レッキ家の瀟酒な邸宅の女主人であるエマ(スウィントン)は、多くの使用人を指揮して宴の準備に追われていた。一族の長である義父の誕生日なのだ。

エマはロシア人。若い頃レッキ家に嫁いで以来、イタリア人として生きてきた。成人した二人の息子と大学生の娘のいる優しい母であり、レッキ家の嫁として妻としての役割をエマは立派にこなしてきたのだ。何不自由ない日々を過ごすエマだが、子供たちが家を離れ、夫もいない夜など大きな邸で一人過ごす寂しさは隠せなかった。

前半で描かれる一族の暮らしの中に、あからさまな抑圧を感じさせる描写はない。だが、すべてが冷たく堅苦しい。父権が強大な支配力を持つ一族の中で、女はただ美しくあれば良く、エマの息子たちさえ父に逆らうことは出来ない。

そんな彼女が息子の親友である若いシェフの料理に魅了された。もとより料理を愛するエマ。その男との偶然の出会いが彼女、いや一族の運命を変えていくことになる。

エマは、自分が感じうる愛だけが生きる物差しという女性だ。レスビアンであることを屈託なくエマに打ち明ける娘、その娘を深い愛で受け止めるエマ。無私の愛を体現する彼女は理想の女性像なのだろう。

純粋すぎて現実感に欠ける面もあるが、スウィントンの説得力ある演技がこの希有な女性像に血肉を与えている。前半のエレガントな富豪夫人から官能の歓びを享受する女、鬼のように顔を歪める母へと目を見張る変貌を遂げ、スウィントンの独壇場である。

畳み込むカット割りで見せる劇的なエンディングも見事で、見終わると「私は愛である」というあまりにストレートな題名も納得。愛を通して自由を手に入れるという古めかしいテーマが、現代に蘇った感があった。監督はルーカ・グアダニーノ。

上映時間:2時間。サンフランシスコはサンダンス・カブキ・シアターで上映中。

"アイ・アム・ラブ/I Am Love" 英語公式サイト:http://www.iamlovemovie.com/