『阿弥陀堂だより』(2002年)



写真クレジット:東宝アスミック・エース

「この歳まで生きて来ると、いい話だけを聞きてえであります。たいていのせつねえ話は聞き飽きたもんでありますからなあ」という台詞が出てくる。阿弥陀堂に住むおうめ婆さんの言葉。その願い通り、本当にこの映画はいい話だ。じっくりと丁寧に、病んだ心を抱えた妻と夫の再生を描いていく。


パニック障害にかかっている東京の大学病院に勤める優秀な医師の美智子(樋口可南子)と、文学賞を取ったものの売れない作家の孝夫(寺尾聰)は子供のいない中年の夫婦。二人は、妻の転地療養を兼ねて夫の郷里、長野に住むことにする。仕事を離れ、美しい自然に囲まれ少しづつ元気を取り戻していく妻と彼女を支える穏やかな夫。二人は村に住む人々とのふれ合いを通して、静かに自分たちの人生を見つめ、再生の道を歩みはじめる。

これだけ書くと田舎に帰って癒されて、という安直な話を想像するかもしれないが、ひと味もふた味も違う。夫婦が出会う人々の、厳しく健気に生きる姿に、人の生き方、死に方について多くの事を考えさせられる物語なのだ。阿弥陀堂を守って一人で暮らす96才のおうめ婆さんが、何といっても素晴らしい。

「雪が降ると山と里の境がなくなり、どこも白一色になります。山の奥にあるご先祖様たちの住むあの世と、里のこの世の境がなくなって、どちらがどちらだか分からなくなるのが冬です」

91歳の北林谷栄が、この言葉をキツい信州訛りで言う時、それを演技だと思うことはできない。自身で集めたという農婦の古着を着て、来客に座布団を投げる素朴な老女の不自由な動作に心限りの喜びが伝わり、この映画を忘れ難いものにしている。この役で日本アカデミー賞を受賞している。

また、孝夫の恩師である幸田(田村高廣、昨年5月に他界。惜しい)の姿も鮮烈だ。末期ガンに冒されながらも治療を拒否して自宅で死を迎えようとしており、孝夫は強く心をうたれる。幸田の厳しい選択を静かに支える妻ヨネ(香川京子)のキリッとした姿も美しい。

美智子の快復への転機は、親しくなった村の助役の娘小百合(小西真奈美)との出会いを通してやってくる。小百合は、喉のガンのために話すことが出来ず、書く事で自分を表現しようとする少女だ。おうめの話をまとめては、村の広報誌に寄稿。題名の『阿弥陀堂だより』は、そのコラムのタイトルでもある。

おうめが小百合に「小説っていうのは昔話のようなもんでありますか。ふんとの話でありますか、うその話でありますか」と聞くと、「小説とは阿弥陀様を言葉で作るようなもの」と答えるくだりが一番好きだ。

美智子は病状が悪化した小百合を救いたいと願い、手術の執刀を決意。医師として立ち直る糸口をつかんでゆく。少女、中年、老年の三世代の女たちが、不思議な縁で互いを助け、救いあっていくなり行きに、なにやら仏教的なものが感じられた。

原作は芥川賞作家の南木佳士の同名小説。長野で現在も医師をしている彼が、パニック障害になった時の体験をもとにこの小説を書いている。医師であり作家である自身の内面を夫婦として書き分けた訳だ。

監督はこれが2作目だが日本の映画人として大ベテランの小泉堯史黒澤明監督の助監督だった人で、黒澤の遺稿脚本『雨あがる』で監督デビュー。去年3作目の『博士の愛した数式』を発表、一貫としてヒューマニティのある誠実な作品を作り続けている。

撮影も黒澤組の上田正治で、阿弥陀堂を囲む信州の四季をみずみずしい映像に焼き付けて、観ているだけで心が洗われる思い。加古隆の音楽も作品世界にとけ込んで気持ちが良かった。

上映時間:2時間8分。
公式サイト:http://www.amidado.com/